保険金請求事件 最高裁判所第一小法廷平成29年(受)第659号,平成29年(受)第660号 平成30年9月27日判決

       主   文

1 第1審被告の上告を棄却する。
2 原判決中,344万円に対する平成27年2月20日から本判決確定の日の前日までの遅延損害金の支払請求を棄却した部分を破棄し,同部分につき本件を東京高等裁判所に差し戻す。
3 第1審原告のその余の上告を棄却する。
4 第1項に関する上告費用は第1審被告の負担とし,前項に関する上告費用は第1審原告の負担とする。

       理   由

第1 事案の概要
1 本件は,自動車同士の衝突事故により被害を受けた第1審原告が,加害車両を被保険自動車とする自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)の保険会社である第1審被告に対し,自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)16条1項に基づき,保険金額の限度における損害賠償額及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1)第1審原告は,平成25年9月8日,トラック乗務員として中型貨物自動車を運転中,運転者の前方不注視等の過失により反対車線から中央線を越えて進入した加害車両と正面衝突し(以下,この事故を「本件事故」という。),左肩腱板断裂等の傷害を負い,その後,左肩関節の機能障害等の後遺障害が残った。
(2)本件事故当時,加害車両について第1審被告を保険会社とする自賠責保険の契約が締結されていた。
(3)政府は,本件事故が第三者の行為によって生じた業務災害であるとして,平成27年2月までに,第1審原告に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく給付(以下「労災保険給付」という。)として,療養補償給付,休業補償給付及び障害補償給付を行った。このことから,本件事故に係る第1審原告の第1審被告に対する自賠法16条1項に基づく損害賠償額の支払請求権(以下「直接請求権」という。)が,労災保険法12条の4第1項により,上記の労災保険給付の価額の限度で国に移転した。
(4)第1審原告が上記の労災保険給付を受けてもなお填補されない本件事故に係る損害額は,傷害につき303万5476円,後遺障害につき290万円である。また,本件事故に係る自賠責保険の保険金額(以下「自賠責保険金額」という。)は,傷害につき120万円,後遺障害につき224万円である。
(5)第1審原告は,平成27年2月,本件事故に係る自賠責保険金額は傷害につき120万円,後遺障害につき461万円であるなどと主張して,本件訴訟を提起した。
3 原審は,第1審原告の請求につき,上記2(4)の自賠責保険金額の合計である344万円及びこれに対する原判決確定の日から支払済みまでの遅延損害金の支払を求める限度で認容した。
第2 平成29年(受)第660号上告代理人緒方彰人,同青山雄一の上告受理申立て理由について
1 所論は,自動車の運行によって生命又は身体を害された者(以下「被害者」という。)の直接請求権の額と労災保険法12条の4第1項により国に移転した直接請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超える場合には,被害者は,その直接請求権の額が上記合計額に対して占める割合に応じて案分された自賠責保険金額の限度で損害賠償額の支払を受けることができるにとどまる旨をいうものである。
2 しかしながら,被害者が労災保険給付を受けてもなお填補されない損害(以下「未填補損害」という。)について直接請求権を行使する場合は,他方で労災保険法12条の4第1項により国に移転した直接請求権が行使され,被害者の直接請求権の額と国に移転した直接請求権の額の合計額が自賠責保険金額を超えるときであっても,被害者は,国に優先して自賠責保険の保険会社から自賠責保険金額の限度で自賠法16条1項に基づき損害賠償額の支払を受けることができるものと解するのが相当である。その理由は,次のとおりである。
(1)自賠法16条1項は,同法3条の規定による保有者の損害賠償の責任が発生したときに,被害者は少なくとも自賠責保険金額の限度では確実に損害の填補を受けられることにしてその保護を図るものであるから(同法1条参照),被害者において,その未填補損害の額が自賠責保険金額を超えるにもかかわらず,自賠責保険金額全額について支払を受けられないという結果が生ずることは,同法16条1項の趣旨に沿わないものというべきである。
(2)労災保険法12条の4第1項は,第三者の行為によって生じた事故について労災保険給付が行われた場合には,その給付の価額の限度で,受給権者が第三者に対して有する損害賠償請求権は国に移転するものとしている。同項が設けられたのは,労災保険給付によって受給権者の損害の一部が填補される結果となった場合に,受給権者において填補された損害の賠償を重ねて第三者に請求することを許すべきではないし,他方,損害賠償責任を負う第三者も,填補された損害について賠償義務を免れる理由はないことによるものと解される。労働者の負傷等に対して迅速かつ公正な保護をするため必要な保険給付を行うなどの同法の目的に照らせば,政府が行った労災保険給付の価額を国に移転した損害賠償請求権によって賄うことが,同項の主たる目的であるとは解されない。したがって,同項により国に移転した直接請求権が行使されることによって,被害者の未填補損害についての直接請求権の行使が妨げられる結果が生ずることは,同項の趣旨にも沿わないものというべきである。
3 以上によれば,これと同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
第3 平成29年(受)第659号上告代理人井田吉則の上告受理申立て理由第3について
1 原審は,前記事実関係の下において,次のとおり判断して,原判決確定の日の前日までの遅延損害金の支払請求を棄却すべきものとした。
 被害者が直接請求権を訴訟上行使した場合には,裁判所は自賠法16条の3第1項に規定する支払基準によることなく損害賠償額を算定して支払を命ずる判決をすることとなるため,保険会社は上記判決が確定するまで損害賠償額を確認することができない。そうすると,この場合における同法16条の9第1項にいう「当該請求に係る自動車の運行による事故及び当該損害賠償額の確認をするために必要な期間」とは,保険会社が訴訟を遅滞させるなどの特段の事情がない限り,上記判決が確定するまでの期間をいうものと解すべきである。したがって,上記特段の事情が認められない本件においては,第1審被告の損害賠償額支払債務は,原判決の確定時まで遅滞に陥らない。
2 しかしながら,原審の上記判断は,是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 自賠法16条の9第1項は,同法16条1項に基づく損害賠償額支払債務について,損害賠償額の支払請求に係る自動車の運行による事故及び当該損害賠償額の確認をするために必要な期間が経過するまでは遅滞に陥らない旨を規定する。この規定は,自賠責保険においては,保険会社は損害賠償額の支払をすべき事由について必要な調査をしなければその支払をすることができないことに鑑み,民法412条3項の特則として,支払請求があった後,所要の調査に必要な期間が経過するまでは,その支払債務は遅滞に陥らないものとし,他方で,その調査によって確認すべき対象を最小限にとどめて,迅速な支払の要請にも配慮したものと解される。
 そうすると,自賠法16条の9第1項にいう「当該請求に係る自動車の運行による事故及び当該損害賠償額の確認をするために必要な期間」とは,保険会社において,被害者の損害賠償額の支払請求に係る事故及び当該損害賠償額の確認に要する調査をするために必要とされる合理的な期間をいうと解すべきであり,その期間については,事故又は損害賠償額に関して保険会社が取得した資料の内容及びその取得時期,損害賠償額についての争いの有無及びその内容,被害者と保険会社との間の交渉経過等の個々の事案における具体的事情を考慮して判断するのが相当である。このことは,被害者が直接請求権を訴訟上行使した場合であっても異なるものではない。
 したがって、第1審原告が直接請求権を訴訟上行使した本件において,第1審被告が訴訟を遅滞させるなどの特段の事情がないからといって,直ちに第1審被告の損害賠償額支払債務が原判決の確定時まで遅滞に陥らないとすることはできない。 
3 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由がある。
第4 結論
 以上のとおりであるから,第1審被告の上告は,これを棄却することとし,原判決中344万円に対する訴状送達の日の翌日である平成27年2月20日から本判決確定の日の前日までの遅延損害金の支払請求を棄却した部分は破棄を免れず,この部分については,第1審被告の損害賠償額支払債務が遅滞に陥る時期について更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すこととする。なお,第1審原告のその余の請求に関する上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小池裕 裁判官 池上政幸 裁判官 木澤克之 裁判官 山口厚 裁判官 深山卓也)