昭和45年6月24日最高裁大法廷判決

会社法判例百選[第3版]2「会社の政治献金」

取締役の責任追及請求事件
昭和四一年(オ)第四四四号
同四五年六月二四日最高裁大法廷判決
【上告人】 被控訴人 原告 略 代理人 有賀正明 外二名
【被上告人】 控訴人 被告 略 外一名 代理人 新家猛 外二名

主   文

 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

理   由

 上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第二点ならびに上告人の上告理由第一および第二について。
 原審の確定した事実によれば、訴外八幡製鉄株式会社は、その定款において、「鉄鋼の製造および販売ならびにこれに附帯する事業」を目的として定める会社であるが、同会社の代表取締役であつた被上告人両名は、昭和三五年三月一四日、同会社を代表して、自由民主党に政治資金三五〇万円を寄附したものであるというにあるところ、論旨は、要するに、右寄附が同会社の定款に定められた目的の範囲外の行為であるから、同会社は、右のような寄附をする権利能力を有しない、というのである。
 会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するのを相当とする。そして必要なりや否やは、当該行為が目的遂行上現実に必要であつたかどうかをもつてこれを決すべきではなく、行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断されなければならないのである(最高裁昭和二四年(オ)第六四号・同二七年二月一五日第二小法廷判決・民集六巻二号七七頁、同二七年(オ)第一〇七五号・同三〇年一一月二九日第三小法廷判決・民集九巻一二号一八八六頁参照)。
 ところで、会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるから、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行するうえに直接必要な行為に存することはいうまでもないところである。しかし、会社は、他面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとつても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適例であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度のかかる出捐をすることは,社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがつて、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主等の利益を害するおそれはないのである。
 以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄附が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄附をする能力がないとはいえないのである。上告人のその余の論旨は、すべて独自の見解というほかなく、採用することができない。要するに、会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。 
 原判決は、右と見解を異にする点もあるが、本件政治資金の寄附が八幡製鉄株式会社の定款の目的の範囲内の行為であるとした判断は、結局、相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
 上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第一点および上告人の上告理由第四について。
 論旨は、要するに、株式会社の政治資金の寄附が、自然人である国民にのみ参政権を認めた憲法に反し、したがつて、民法九〇条に反する行為であるという。
 憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によつてそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない。論旨は、会社が政党に寄附をすることは国民の参政権の侵犯であるとするのであるが、政党への寄附は、事の性質上、国民個々の選挙権その他の参政権の行使そのものに直接影響を及ぼすものではないばかりでなく、政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしても、それはたまたま生ずる病理的現象に過ぎず、しかも、かかる非違行為を抑制するための制度は厳として存在するのであつて、いずれにしても政治資金の寄附が、選挙権の自由なる行使を直接に侵害するものとはなしがたい。会社が政治資金寄附の自由を有することは既に説示したとおりであり、それが国民の政治意思の形成に作用することがあつても、あながち異とするには足りないのである。所論は大企業による巨額の寄附は金権政治の弊を産むべく、また、もし有力株主が外国人であるときは外国による政治干渉となる危険もあり、さらに豊富潤沢な政治資金は政治の腐敗を醸成するというのであるが、その指摘するような弊害に対処する方途は、さしあたり、立法政策にまつべきことであつて、憲法上は公共の福祉に反しないかぎり、会社といえども政治資金の寄附の自由を有するといわざるを得ず、これをもつて国民の参政権を侵害するとなす論旨は採用のかぎりでない。
 以上説示したとおり、株式会社の政治資金の寄附はわが憲法に反するものではなく、したがつて、そのような寄附が憲法に反することを前提として、民法九〇条に違反するという論旨は、その前提を欠くものといわなければならない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用しがたい。
 上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由第三点および上告人の上告理由第三について。
 論旨は、要するに、被上告人らの本件政治資金の寄附は、商法二五四条ノ二に定める取締役の忠実義務に違反するというのである。
 商法二五四条ノ二の規定は、同法二五四条三項民法六四四条に定める善管義務を敷衍し、かつ一層明確にしたにとどまるのであつて、所論のように、通常の委任関係に伴う善管義務とは別個の、高度な義務を規定したものとは解することができない。ところで、もし取締役が、その職務上の地位を利用し、自己または第三者の利益のために、政治資金を寄附した場合には、いうまでもなく忠実義務に反するわけであるが、論旨は、被上告人らに、具体的にそのような利益をはかる意図があつたとするわけではなく、一般に、この種の寄附は、国民個々が各人の政治的信条に基づいてなすべきものであるという前提に立脚し、取締役が個人の立場で自ら出捐するのでなく、会社の機関として会社の資産から支出することは、結果において会社の資産を自己のために費消したのと同断だというのである。会社が政治資金の寄附をなしうることは、さきに説示したとおりであるから、そうである以上、取締役が会社の機関としてその衝にあたることは、特段の事情のないかぎり、これをもつて取締役たる地位を利用した、私益追求の行為だとすることのできないのはもちろんである。論旨はさらに、およそ政党の資金は、その一部が不正不当に、もしくは無益に、乱費されるおそれがあるにもかかわらず、本件の寄附に際し、被上告人らはこの事実を知りながら敢て目をおおい使途を限定するなど防圧の対策を講じないまま、漫然寄附をしたのであり、しかも、取締役会の審議すら経ていないのであつて、明らかに忠実義務違反であるというのである。ところで、右のような忠実義務違反を主張する場合にあつても、その挙証責任がその主張者の負担に帰すべきことは、一般の義務違反の場合におけると同様であると解すべきところ、原審における上告人の主張は、一般に、政治資金の寄附は定款に違反しかつ公序を紊すものであるとなし、したがつて、その支出に任じた被上告人らは忠実義務に違反するものであるというにとどまるのであつて、被上告人らの具体的行為を云々するものではない。もとより上告人はその点につき何ら立証するところがないのである。したがつて、論旨指摘の事実は原審の認定しないところであるのみならず、所論のように、これを公知の事実と目すべきものでないことも多言を要しないから、被上告人らの忠実義務違反をいう論旨は前提を欠き、肯認することができない。いうまでもなく取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内において、その金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義務に違反するというべきであるが、原審の確定した事実に即して判断するとき、八幡製鉄株式会社の資本金その他所論の当時における純利益、株主配当金等の額を考慮にいれても、本件寄附が、右の合理的な範囲を越えたものとすることはできないのである。
以上のとおりであるから、被上告人らがした本件寄附が商法二五四条ノ二に定める取締役の忠実義務に違反しないとした原審の判断は、結局相当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨はこの点についても採用することができない。
 上告人の上告理由第五について。
 所論は、原判決の違法をいうものではないから、論旨は、採用のかぎりでない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同松田二郎、同岩田誠、同大隅健一郎の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官松田二郎の意見は、次のとおりである。

本件は、いわゆる八幡製鉄株式会社の政治献金事件に関し、その株主である上告人の提起した株主の代位訴訟(商法二六七条)に基づく訴であり、原審は、上告人の請求を排斥した。私は、その結果をば正当と考えるものである。しかし、その理由は、必ずしも多数意見と同様ではない。ただ、本件の一審判決以来、これに関する多くの批評、論文が発表されていて、細別するときは、意見はきわめて区々であるといえよう。私の意見は、次のとおりである。
(一) 多数意見は、まず、会社の権利能力について、次のごとくいうのである。曰く「会社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するを相当とする」と。これは、用語上、多少の差異あるは別として、当裁判所従来の判例のいうところと同趣旨であるといえよう。そして、多数意見は、会社による政治資金の寄附について、曰く「会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果すためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げない」と。これによると、多数意見は、会社による政治献金を無制限に許容するものでなく、「会社の社会的役割を果すためになされたものと認められるかぎり」との制限の下に、これを是認するものと一応解される。
 しかし、他面において、多数意見は、会社の行う政治献金が政党の健全な発展のための協力であることを強調するのである。曰く、「政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様としての政治資金の寄附についても例外ではないのである」(傍点は、私の附するところである)と。そして、多数意見がこのように、会社による政治資金の寄附の根拠を「会社の社会的実在」ということに置く以上、自然人もまた社会的実在たるからには、両者は、この点において共通の面を有することとなろう。
そして、私の見るところでは、多数意見は、この面を強調して会社と自然人とをパラレルに考えるもののごとく思われるのである。多数意見はいう。「会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり……」と。かくて、多数意見は、会社による政治資金の寄附の自由を自然人の政治資金の寄附の自由と同様に解するがごとく思われる。しかして、自然人が政治資金の寄附のためその者の全財産を投入しても法的には何等とがむべきものを見ない以上、多数意見は、会社による政治資金の寄附をきわめて広く承認するもののごとくさえ解されるのである。
 この点に関連して注目すべきは、政治献金についての取締役の責任について多数意見のいうところである。多数意見はいう。「取締役が会社を代表して政治資金の寄附をなすにあたつては、その会社の規模、経営実績その他社会的経済的地位および寄附の相手方など諸般の事情を考慮して、合理的な範囲内においてその金額等を決すべきであり、右の範囲を越え、不相応な寄附をなすがごときは取締役の忠実義務に違反するものというべきである」と。思うに、取締役が会社を代表して政治献金をするについて、多数意見のいう右の諸点を考慮すべきことは当然であろう。しかしながら、多数意見が政治資金の寄附に関し、取締役に対し対会社関係において右のごとき忠実義務に基づく厳格な制約を課するにかかわらず、会社自体のなす政治献金について何等かかる制約の存在に言及しないのは、注目すべきことであろう。そして、多数意見のいうところより判断すれば、あるいは多数意見は、会社自体のなす政治献金の寄附については、取締役に課せられた制限とは必ずしも関係なく、ただ、「定款所定の目的の範囲内」なるか否かの基準によつて、その寄附の有効無効を決するとしているものとも思われる。しかし、判例上、会社の行為が定款所定の目的の範囲外として無効とされたものを容易に見出し難い以上、多数意見によるときは、会社による政治資金の寄附は、実際上、きわめて広く肯定され、あるいは、これをほとんど無制限に近いまで肯定するに至る虞なしといえないのである。私としては、このような見解に対して疑を懐かざるを得ないのである。
 思うに、会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有するとの見解は、民法四三条をその基礎とするものであるが、右法条は、わが国の民商法が立法の沿革上、大陸法系に属するうちにあつて、いわば例外的に英米法に従い、そのいわゆる「法人の目的の範囲外の行為」(ultra vires)の法理の流を汲むものとせられている。そして、もし、略言することが許されるならば、この法理は、法人擬制説によるものであつて、法人はその目的として示されているところを越えて行動するとき、それは効なしとするものといえよう。そこでは、「定款所定の目的」と「権利能力」との間に、深い関連が認められているのである。もつとも、理論的に考察するとき、「定款所定の目的の範囲」と「権利能力の範囲」とは、本来別個の問題であるべきであるが、わが国の判例がかかる理論に泥むことなく、法人は「定款所定の目的の範囲内」において「権利能力」を有するものとし、会社についてはその目的の範囲をきわめて広く解することによつて、会社の権利能力を広範囲に認めて来たことを、私は意味深く感じ、判例のこの態度に賛するものである。判例法とは、かくのごとき形態の下に形成されて行くものであろう。そして、他の法人に比して、会社についてその権利能力の範囲を特に広く認めるに至つたのは、会社の営利性と取引の安全の要請に基づくものと解されるのである。
 思うに、法律上、会社は独立の人格を有し、社員の利益とは異るところの会社自体ー企業自体ーの利益を有するものではあるが、営利法人である以上、会社は単に会社自体の利益を図ることだけでは足りず、その得た利益を社員に分配することを要するのである。株式会社について、株主の利益配当請求権が「固有権」とされているのは、このことを示するのである。ここに、会社の特質が存在するのであつて、いわば、会社は、本来はこのような営利目的遂行のための団体であり、そのため権利能力を付与されたものといえよう。それは本来、政治団体でもなく、慈善団体でもないのである。そして、会社が企業として活動をなすからには、その「面」において権利能力を広範囲に亘つて認めることが当然に要請される。けだし、これによつて、会社は、営利的活動を充分になし得るし、また、取引の安全を確保し得るからである。
 そして、近時、英米法上においてultra viresの法理を制限しまたは廃止しようとする傾向を見、わが国において、学説上、会社につき「目的による制限」を認めないものが抬頭しているのは、叙上のことに思を致すときは、容易にこれを理解し得るのである。(この点に関し、青木徹二博士が明治の末葉において夙に民法四三条が会社に適用がないと主張されたことに対し、その慧眼を思うものである。もつとも、私が「目的の範囲」による制限を認めることは、既に述べたところである)。
 そして、叙上の見地に立つて、わが国の判例を見るとき、近時のもののうちにさえ、会社以外の法人、たとえば農業協同組合につき、金員貸付が「組合の目的の範囲内に属しない」としたもの(最高裁判所昭和四〇年(オ)第三四八号同四一年四月二六日判決、民集二〇巻四号八四九頁)を見るにかかわらず、会社については、たとえば、大審院明治三七年五月一〇日判決が「営業科目ハ……定款ニ定メタルモノニ外ナラサレハ取締役カ定款ニ反シ営業科目ニ属セサル行為ヲ為シタルトキハ会社ハ之ニ関シ責任ヲ有セス」(民録一〇輯六三八頁)という趣旨を判示したなど、きわめて旧時における二、三の判例を除外すれば、会社の行為をもつて定款所定の目的の範囲外としたものを大審院並びに最高裁判所の判例中に見出し難いのである。換言すれば、判例は、表面上、会社につき「定款所定の目的による制限」を掲げながら、実際問題としては、会社の行為につき、この制限を越えたものを認めなかつたことを示すものといえよう。これは、わが国の判例が会社については英米法上のultra viresの制限撤廃に近い作用を夙に行つていたのである。
 しかし、会社に対してこのように広範囲の権利能力の認められるのは、前述のように、会社企業の営利的活動の自由、取引の安全の要請に基づくものである。したがつて、会社といえどもしからざる面ーことに営利性と相容れざるものともいうべき寄附ーにおいて、その権利能力の範囲を必ずしも広く認めるべき必要を見ないものといえよう。私は、アメリカ法について知るところが少ないのではあるが、そこでは、会社の寄附に関し、最初は、それが会社の利益のためになされた場合にかぎり、その効力を認め、慈善のための理由だけの寄附は認められなかつたこと、その寄附が会社事業に益し、または、従業員の健康、福祉を増進するためのものでもあればこれを認めるに至つたこと、そして、次第に慈善事業のための寄附が広く認められるに至つたとされることに興味を覚える。それは会社制度の発展に従い、会社企業の行動が社会の各方面に影響することが大となるに伴つて、会社がある種の寄附をすることが、いわば、その「社会的責任」として認められるに至つたものといい得よう。それは会社として義務を負担し得る範囲の拡大であり、この点で「権利能力」の拡大といい得るにしても、しかし、それは、会社が本来の企業としての性格に基づいて、広範囲に亘つて権利義務の主体たり得ることとは、面を異にし、これとは別個の法理に従うものであり、そこには自ら制約があるものと思うのである。詳言すれば、会社の権利能力は企業としての営利的活動の面においては客観的、抽象的に決せられ、その範囲も広いのに対し、然らざる面、ことに寄附を行う面においては、会社の権利能力は個別的、具体的に決せられ、その範囲も狭小というべきであろう。そして、この後者について、会社は各個の具体的場合によつて「応分」の寄附が認められるに過ぎないのである。この点に関し、商法を企業法とし、この見地より会社法を考察したウイーラントが公共の目的や政治的プロパガンダなどのために、会社の利得を処分することは、営利会社の目的と合致しないとしてこれを否定しながら、業務上通常の範囲に属すると認められる贈与は許容されるとし、また、道義的、社会的義務の履行ーたとえば、従業員や労働者のための年金や保険の基金をつくることーのため会社の利得を用いることは許される旨(KarlWi eland,Handelsrecht,Bd.II.S.219)の主張をしているのは、たとえ、彼の所説が既に旧時のものに属するにせよ、会社の営利性と会社による寄附との関係の本質に言及したものとして、意味深く覚えるのである。
 私の解するところによれば、会社の行う寄附は、それが会社従業員の福祉のため、会社所在の市町村の祭典のため、社会一般に対する慈善事業のため、あるいは、政党のためなど、その対象を異にするによつて、各別に考察すべきものであり、その間に段階的にニユアンスの差があるものと考える。そして、その寄附の有効無効は、その寄附の相手方と会社との関係、その会社の規模、資産状態等諸般の事情によつて、会社の権利能力の範囲内に属するや否や決せられるものである。私は、この点につき、多数意見ー先に引用したところであるーが、「会社は自然人たる国民と同様国や政党の特定の政策を支持、推進または反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附も正にその自由の一環である」とし、会社と自然人の行う政治資金の寄附を同様に解するごとくいうことに対して大なる疑を持つ。けだし、自然人は、自己の有する全財産をある政党に寄附する自由があるにしても、会社についてはこれと同様に論ずべきではないからである。
 もつとも、私の叙上の見解に対し、かかる見解を採るときは、会社による寄附が「応分」なるか否かを具体的場合について決すべきこととなり、寄附の効力がきわめて不安定になるとの非難があるであろう。しかし、それは、従来、「正当の事由」ということが、各場合の状況により具体的に判断されるに類するといえよう。そして、会社による寄附の効力は、新しく提起された問題であるが、やがて判例の積み重ねによつてその基準が次第に明らかになつてゆくであろう(会社関係において画一的基準が明らかでないことは、望ましいことではない。しかし、止むを得ない場合には、かかることを生じるのである。たとえば、株式の引受または株金払込の欠陥がある場合、それがいかなる程度のもののとき会社の設立無効を来すかは、具体的に決める外はないのである)。そして、その献金が会社の権利能力の範囲外の行為として無効と認められる場合でも、相手方の保護を全く欠くわけではない。何となれば、これを約した会社の代表取締役は、民法一一七条により相手方に対しその責に任ずべきものだからである。かくて、叙上に照して多数意見を見るならば、それは会社がその企業としての営利的活動の面において認められた広範囲の権利能力をば、不当に会社の行う政治献金にまで拡大したもののごとく思われる。そして、多数意見によるときは、会社の代表者が恣意的に当該会社としては不相応の巨額の政治献金をしたときでも、それが有効となり、その事により会社の経営が危殆に陥ることすら生じ得るであろう。かかることは、企業の維持の点よりしても、また、社会的観点よりしても、寒心すべきはいうまでもないのである。
(二) 会社による政治資金のための寄附の効力は、叙上のごとくである。しかし、会社の代表者として政治資金のための寄附をした取締役の会社に対する責任は、別個に考察すべき問題である。したがつて、会社の代表者として行なつたかかる寄附が無効であり、会社が既にその出捐を了したときは、その取締役は、これにつき会社に対して当然その責に任ずるが、たとえそのような寄附が会社の行為として対外的に有効のときであつても、その寄附をした取締役の対会社の責任は生じ得るのである。これは、会社の権利能力の問題と取締役の対会社関係における善管義務、忠実義務の問題とは、別個に考察されるべきものであるからである。たとえば、会社の代表取締役が自己の個人的利益のため政治資金を寄附したところ、それが会社の行為として有効と認められた場合において、かくのごときことを生じ得よう。
(三) 今、叙上論じたところに照して本件をみるに、原審認定の事実関係の下では、被上告人らが訴外八幡製鉄株式会社の代表取締役として自由民主党に対してした政治資金三五〇万円の本件寄附は,右会社の目的の範囲内の行為であり、かつ、取締役の会社に対する善管義務、忠実義務の違反ともなり得ないものと解される。したがつて、訴外会社の株主たる上告人が株主の代位訴訟に基づき被上告人らに対して提起した訴につき、上告人の請求を棄却した原審の判断は正当であり、本件上告は理由なきに帰するのである。
 裁判官入江俊郎、同長部謹吾、同岩田誠は、裁判官松田二郎の意見に同調する。 

裁判官大隅健一郎の意見は、つぎのとおりである。

私は、本判決の結論には異論はないが、多数意見が会社の権利能力について述べるところには、つぎの諸点において賛成することができない。
(一) 多数意見は、会社の権利能力についても民法四三条の規定が類推適用され、会社は定款によつて定まつた目的の範囲内においてのみ権利を有し義務を負う、とする見解をとつている。これは、会社は、自然人と異なり、一定の目的を有する人格者であるから、その目的の範囲内においてのみ権利義務の主体となりうるのが当然であるのみならず、会社の社員は、会社財産が定款所定の目的のために利用されることを期待して出資するのであるから、その社員の利益を保護するためにも、会社の権利能力を定款所定の目的の範囲内に限定する必要がある、という理由に基づくものではないかと推測される。しかしながら、会社の目的と権利能力との関係の問題は、単に会社の法人たる性質から観念的、抽象的にのみ決するのは不適当であつて、会社の活動に関連のある諸利益を比較衡量して、これをいかに調整するのが妥当であるか、の見地において決すべきものと考える。そして、このような見地において主として問題となるのは、会社財産が定款所定の目的のために使用されることを期待する社員の利益と、会社と取引関係に立つ第三者の利益である。
 おもうに、会社が現代の経済を担う中核的な存在として、その活動範囲はきわめて広汎にわたり、日常頻繁に大量の取引を行なつている実情のもとにおいては、それぞれの会社の定款所定の目的は商業登記簿に登記されているとはいえ、会社と取引する第三者が、その取引に当たり、一々その取引が当該会社の定款所定の目的の範囲内に属するかどうかを確かめることは、いうべくして行ないがたいところであるのみならず、その判断も必ずしも容易ではなく、一般にはそれが会社の定款所定の目的といかなる関係にあるかを顧慮することなく取引するのが通常である。したがつて、いやしくも会社の名をもつてなされる取引行為については、それがその会社の定款所定の目的の範囲内に属すると否とを問わず、会社をして責任を負わせるのでなければ、取引の安全を確保し、経済の円滑な運営を期待することは困難であつて、いたずらに会社に責任免脱の口実を与える結果となるのを免れないであろう。事実審たる下級裁判所の判決をみると、多数意見と同様の見解をとる従来の判例の立場に立ちながらも、実際上会社の権利能力の範囲をできるだけ広く認める傾向にあり、中には判例の立場をふみ越えているものも見られるのは、上述の事情を敏感かつ端的に反映するものというほかないと思う。それゆえ、会社の権利能力は定款所定の目的によつては制限されないものと解するのが、正当であるといわざるをえない。公益法人については、公益保護の必要があり、また、その対外的取引も会社におけるように広汎かつ頻繁ではないから、民法四三条がその権利能力を定款または寄附行為によつて定まつた目的の範囲内に制限していることは、必ずしも理由がないとはいえない。しかし、商法は、公益法人に関する若干の規定を会社に準用しながら(たとえば、商法七八条二項・二六一条三項等)、とくにこの規定は準用していないのであるから、同条は公益法人にのみ関する規定と解すべきであつて、これを会社に類推適用することは、その理由がないばかりでなく、むしろ不当といわなければならない。もちろん、社員は会社財産が定款所定の目的以外に使用されないことにつき重要な利益を有し、その利益を無視することは許されないが、その保護は、株式会社についていえば、株主の有する取締役の違法行為の差止請求権(商法二七二条)・取締役の解任請求権(商法二五七条三項)、取締役の会社に対する損害賠償責任(商法二六六条)などの会社内部の制度にゆだねるべきであり、また、定款所定の目的は会社の代表機関の代表権を制限するものとして(ただし、その制限は善意の第三者には対抗できないが。)意味を有するものと解すべきであると考える。従来、会社の能力の目的による制限を認めていたアメリカにおいても、そのいわゆる能力外の法理(ultra vires doctrine)を否定する学説、立法が漸次有力になりつつあることは、この点において参考とするに足りるであろう。
 以上のようにして、会社の権利能力は定款所定の目的によつては制限されないものと解すべきであるが、しかし、すべての会社に共通な営利の目的によつて制限されるものと解するのが正当ではないかと考える。法は、営利法人と公益法人とを区別して、これをそれぞれ別個の規制に服せしめているのであるから、この区別をも無視するような解釈は行きすぎといわざるをえないからである。そして、このように解しても、客観的にみて経済的取引行為と判断される行為は一般に営利の目的の範囲内に属するものと解せられるから、格別取引安全の保護に欠けるところはないであろう。
(二) 多数意見は、会社の権利能力は定款に定められた目的の範囲内に制限されると解しながら、災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、政治資金の寄附なども、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとすることにより、これを会社の権利能力の範囲内に属するものと解している。それによると、会社は「自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであつて、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、会社に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとつても、一般にかかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあつても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。」というのである。私は、この所論の内容にとくに異論を有するものではないが、しかし、このような理論をもつて、右のような行為が会社の定款所定の目的の範囲内の行為であり、したがつて、会社の権利能力の範囲内に属するとする考え方そのものに、疑問を抱かざるをえないのである。
 多数意見が類推適用を認める民法四三条にいわゆる定款によつて定まつた目的とは、それぞれの会社の定款の規定によつて個別化された会社の目的たる事業をいうのであつて、これを本件訴外八幡製鉄株式会社についていえば、「鉄鋼の製造および販売ならびにこれに附帯する事業」にほかならない。それは、すべての会社に共通な営利の目的とは異なるのである。しかるに、多数意見によれば、災害救援資金の寄附、地域社会への財産的奉仕、政治資金の寄附などは、会社が自然人とひとしく社会等の構成単位たる社会的実在であり、それとしての社会的作用を負担せざるをえないことから、会社も当然にこれをなしうるものと認められるというのである。したがつて、それが会社の企業体としての円滑な発展をはかるうえに相当の価値と効果を有するにしても、定款により個別化された会社の目的たる事業とは直接なんらのかかわりがなく、その事業が何であるかを問わず、すべての会社についてひとしく認めらるべき事柄にほかならない。しかのみならず、そのような行為が、社会通念上、社会等の構成単位たる社会的実在としての法人に期待または要請される点においては、程度の差はありうるとしても、ひとり会社のみにかぎらず、各種協同組合や相互保険会社などのようないわゆる中間法人、さらには民法上の公益法人についても異なるところがないといわざるをえない。その意味において、多数意見のように、右のような行為についての会社の権利能力の問題を会社の定款所定の目的と関連せしめて論ずることは、意味がないばかりでなく、かえつて牽強附会のそしりを免れないのではないかと思う。
 多数意見のように定款所定の目的の範囲内において会社の権利能力を認めるにせよ、私のようにすべての会社に共通な営利の目的の範囲内においてそれを認めるにせよ、なおそれとは別に、法人たる会社の社会的実在たることに基づく権利能力が認めらるべきであり、さきに引用した多数意見の述べるところは、まさにかような意味における会社の権利能力を基礎づけるのに役立つものといえるのである。そして、本件政治資金の寄附が訴外八幡製鉄株式会社の権利能力の範囲内に属するかどうかも、かかる意味における会社の権利能力にかかわる問題として論ぜらるべきものと考えられるのである。
(三) 以上のように、災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、政治資金の寄附のごとき行為は会社の法人としての社会的実在であることに基づいて認められた、通常の取引行為とは次元を異にする権利能力の問題であると解する私の立場においては、その権利能力も社会通念上相当と認められる範囲内に限らるべきであつて、会社の規模、資産状態、社会的経済的地位、寄附の相手方など諸般の事情を考慮して社会的に相当ないし応分と認められる金額を越える寄附のごときは、会社の権利能力の範囲を逸脱するものと解すべきではないかと考えられる。このような見解に対しては、当然、いわゆる相当(応分)の限度を越えてなされた行為は、相手方の善意悪意を問わず、無効であるにかかわらず、その相当性の限界が不明確であるから、法的安定を妨げるとする批判が予想される。しかし、上述のごとき行為については、通常の取引行為におけるとは異なり、取引安全の保護を強調する必要はなく、むしろ会社財産が定款所定の目的を逸脱して濫費されないことについて有する社員の利益の保護が重視さるべきものと考える。
 叙上の点につき多数意見がどのように考えているかは必ずしも明らかでないが、多数意見が、「会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げない。」と述べているところからみると、上述の卑見にちかい見解をとるのではないかとも臆測される。しかし、右引用の判文は、その表現がすこぶる不明確であつて、はたして、会社による政治資金の寄附は、会社の社会的役割を果たすため相当と認められる限度においてなされるかぎり、会社の定款所定の目的の範囲内、したがつて、会社の権利能力の範囲内の行為であるとする趣旨であるかどうか(このように解するには、「客観的、抽象的に観察して、」というのが妨げになる。むしろ、「諸般の事情を考慮し具体的に観察して、」とあるべきではなかろうか。)疑問の余地があるのを免れないのみならず、かりにその趣旨であるとしても、政治資金の寄附も、通常の取引行為とひとしく、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとしながら、前者に関してのみその権利能力につき右のような限定を加えることが理論上妥当であるかどうか、疑問なきをえないと思う。この点においても、政治資金の寄附のごとき行為を会社の定款所定の目的との関連においてとらえようとする多数意見の当否が疑われる。
 いずれにせよ、私のような見解に従つても、本件の政治資金の寄附は訴外八幡製鉄株式会社の権利能力の範囲内に属するものと解せられるから、判決の結果には影響がない。
(裁判長裁判官 石田和外 裁判官 入江俊郎 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 長部謹吾 裁判官 城戸芳彦 裁判官 田中二郎 裁判官 松田二郎 裁判官 岩田誠 裁判官 下村三郎 裁判官 色川幸太郎 裁判官 大隅健一郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 村上朝一 裁判官 関根小郷)

上告代理人有賀正明、同吉田元、同長岡邦の上告理由

 序論
政党に対する寄付一般は世上政治献金という名で呼ばれ恰も神仏に対する献納の如く考えられてきた名残りがその用語のうちに秘められている。
公僕として国民全体の奉仕者たるべき又はたらんとする者及びこれらの団体への寄付が献金たるべき筈はないであろう、それはともあれ政治の近代化が要請されている我国の政治社会の中で政治資金の問題はヴエールをまとつたいわばタブーとしての存在でありこれを口にすることすら禁忌とされている気配がありはしないだろうか、民主主義を基調とする政治体制の下において国民各個人は各々その信念に基いて自己の支持する政党へその活動資金として寄金することは望ましくそれは又選挙の際の自己の支持する候補者への投票等と同様国政に参加する国民の積極的権利でもあると考える、そうして寄金を受領し得票を得て当選した議員はこれら支持者の単なる使用人としてでなく全体の奉仕者として公務の遂行に当らねばならない。
政治寄金は国民各個人の政治的信条に基いて為されるのが原則である、原審判決も政治資金は党費によつて賄われるのが本筋だとしてこの理を認めるが党員に非ざる一般国民の支持による一定限度の拠金を原則から除く理由はないと思う。
ところが一旦右の原則が破られ大小さまざまの営利事業を営む会社特定の目的を以て設立された法人団体等によつて巨額の寄金が為される段階に至ると支出する側も受領する側もこれについては一切黙して語らず僅かに政治資金規正法によつてその収支のみが公表されるに止まる、政治資金の寄付はその殆んどすべてが営利事業を目的とする株式会社その他の特定の目的を有する法人等によつて為されておりそのためここでは政治資金全体は神秘的な権威に支えられたタブーへ化身する。
そこで近代法は諸々の神話の解明に始まつたことを考えると政治寄金の法的性格、とくに巨額の寄金をなしている株式会社の右行為につき商法の立場からもその法的評価が明確にされなければならないと確信する、このことは我国の政党の近代化の為には株式会社等の政治寄金行為を禁止すべきであるとの一般世論の強い要請とその軌を一にするものである。尚株式会社のなす特定政党への政治寄金を否定した第一審判決に対し一部識者から商法上の解釈として常識に反するとの批判がなされそれらの人はこれを是認した第二審判決について極めて妥当な結論であるとの論評をされているのを見聞するが果して常識がこれを是認しているといえるだろうか。
一般社会における通常人の良識によれば株式会社の行う政治寄金はいかなる理由があるにせよそれが合理的なものとされていないし又商法の解釈上もこれが当然許されるとは考えられていないだろう。それは例えば寄金行為をなす良識ある会社経営担当者自身の苦衷を聞くだけでも明らかである。
これを合法視しようとするものでも少くとも道義的に疑問視しながら一部会社の多年の慣行として為されてきた目先の現実論をいうにすぎないしその結果は法秩序を無視するものというべきである。
 本論
原審判決は、被上告人らが訴外八幡製鉄株式会社(以下単に訴外会社と言う)を代表して自由民主党に対してなした政治資金の寄附(以下本件寄附とする)は、同会社の目的の範囲内の行為であり且つ、憲法が国民に保障する参政権を侵害しないことは勿論、公序に関する法律の規定に違反する訳でもないから、会社の行為として有効である。
又被上告人らが本件寄附をなす際取締役として課せられた忠実義務違反に反するかどうかについては、此れを判断するに足る主張立証がないからそのかぎりではないとして上告人の請求を棄却した。
然し乍ら、原審判決が本件寄附を訴外会社の目的の範囲内の行為だとしたことは、法律の解釈若はその適用を誤まつたものであり、合憲且つ適法の行為だとしたことは、政治資金、及びその寄附行為の性質についての見解が形式的に過ぎて正鵠を得なかつた結果憲法の解釈を誤り且つ、法律の解釈若は適用を誤つたものである更に、原審判決が忠実義務違反の有無について判断のかぎりでないとしたのは、忠実義務に関する法律の解釈若は適用を誤つたか又は判断を遺脱したかのいずれかである。
而して、右の法令の違背はいずれも判決に影響を及ぼすことの明白な違法であり、原審判決は破毀を免がれないものである。
以下各論を細別し政治寄金の性質を明かにする意味でまず会社のなす政治寄金の違憲性、反社会性、ついで会社の能力と政治寄金、最後に取締役たる被上告人らの忠実義務の順序で説明する。
第一点 憲法違反並に法令(民法第九〇条)違反
第一、国民の参政権
国民主権主義は人類普遍の原理として憲法前文に明確に規定されている、そしてここに主権が国民に存するという場合の国民とは国民の総体即ち日本の国籍を有する国民の全体というほどの意味であろう。
右の人類普遍の原理に基き憲法は国民へ平等の参政権とその行使の自由を保障する、参政権の用語は憲法上用いられていないがこの点については国民の国家の活動に参与する地位をひろく権利と呼ぶとすればかかる国民の地位は国民主権を基調とする憲法上の権利だと考えられている、参政権として憲法の定めるものは公務員の選定罷免の権利、普通平等自由の選挙(憲法一五条)国会議員の選挙(同法第四三条)、最高裁判所裁判官の国民審査(同法七九条二、三、四項)地方公共団体の長、議会の議員その他の吏員の選挙(同第九三条三項)地方自治特別法の同意(同法第九五条)憲法改正の承認(同法第九六条)がある。
尚その他の権利及び具体的な保障は法律に委ねる。
右の如く憲法上参政権の保障は重大な国家活動の各般に及びしかもそれは本来的に自然人である日本国民にのみ与えられたものであるから、例えば自然人にあらざる株式会社その他の法人団体又日本国民にあらざる外国、外国人及びその団体等に我国の国家並政治活動への参加を容認することはできない。
そうして参政権についての憲法上の保障規定は右の如くであるが国民の国家政治活動に参与する仕方は更に広範かつ複雑でこれら活動のすべてを法的規制の下に置くことは実際的にも技術的にも困難である、例を選挙にとつてもその選挙活動は国民の不断の日常の政治活動とくに立候補者たらんとするもの及びこれを支持したり阻止しようとする選挙民の運動までも包含されるが法的規制の対象としては寧ろ消極的に選挙の公正を確保するため当該選挙に関する一定期間内の特定の行為を制限するというに止まつている(公職選挙法)、従つて国民の国家政治活動に参加する個々の行為は憲法或いは法律の明文の有無即ち法的規制の内にあると外にあるとを問わずすべて国民各個人に本来的に帰属するものというべきである。
第二、参政権と政治寄金
政党への政治寄金は政党即ち政治上の主義若しくは施策を推進し支持し若しくはこれに反対し又は公職の候補者を推せんし支持し若しくはこれに反対することを本来の目的とする団体への寄金であるから(政治資金規正法第三条参照)その性質上当然政治活動への参加行為そのものとみるべきでありそれは自然人たる日本国民(政党の党員が党費として支出し又別に寄金をするのは当然)のみがこれをなしうるとせられねばならない、即ち政治寄金は他の政治活動と同様国民各個人の政治的信条に基いて為されるべき性質のものであり(仮にこれを政治寄金個人主義の原則ということができよう)例えば選挙の際の投票と対比してみてもこれと同質的なものである従つて営利事業を営むことを目的とする株式会社につきかかる政治的信条を基礎とする寄金行為を許容し得ないことは明瞭である(仮に会社の名においてその経理上支出されたとしてもそれは会社の政治的信条による寄金でないことは明かで当該担当取締役個人の意思に基くものであるに過ぎない)。
第三、会社の政治寄金の違憲性反社会性
代表民主制を立前とする我憲法上政党の存在が不可欠のものであることそしてその果すべき機能において公共的利益に奉仕するものであることはいうまでもない。
しかしながら政党はもともとその語源の示す如く部分(ギリシヤ語の Parti に由来するといわれる)に過ぎずそれは特定の階級集団の利益を擁護しその利益を代表するにすぎないものであるにも拘らず否その故にこそ却つて必然的に部分に対する他の部分がありここに異なる政党が対立した形で政治斗争を行う場が形成されるに至る。
もとよりそこでの政党はその使命として単なるこれを支援する階級集団等国民の一部の利益の代弁者としてではなく、いわんや単なる党利党略によつてでなく国家国民全体の利益の立場においてその役割を果そうとする。又その多数党は政権を担当しその党派的主張を止揚した姿において自己の政策の実現を可能ならしめようとする。
政党が公党と称され高度の公益性をいわれる所以は右の如き理念としての政党秩序を前提とした結果である。従つて政党政治の下において単一の特定政党を抽出してこれが公益を目的とする団体であるかといつてみてもそれは比喩以上に出るものでなくかかる不明確な表現は却つて誤解を生ずる危険がある。
さて政治寄金は国民が個人としてその政治的信条によつて為さるべき性質のものであることは前述した。
しかるに右の如く一政党に対して必ず反対政党の予想される政党秩序の下で政治的信条を保有することなく、参政権を有しない株式会社につき特定の政党への寄金行為を許すことは政党政治の根底を覆すものでそれ自体国民主権主義に背き国民のみに与えられた参政権を侵害するもので明かに公序に反する違法行為というべきである。
尚本訴で対象としている政治寄金とは一応その焦点を明確にする意味で純粋に特定政党の主義主張を支持し当該政党の政治活動を支援する目的のみで為されたものであつてその他の具体的即ちそれによつて会社の特定利益と結びつく性質のものでないとの想定に基くものである。
このことは本訴のいわば前提問題として被上告人も又本件寄金につきそれが純然たる一般的政治寄金である旨自認しているし原審判決もこれが当然のこととしていると考えられる。又現代国家社会において国家並に政党の果すべき役割は広範囲に亘り、他方企業を含めた国民の社会的活動範囲も多義多様に及び、従つて国家並に政党の掲げる経済、貿易、金融、労働等の各般の政策に関しこれに関連する企業が無関心であり得ないこと当然である。
そのために会社と雖も政府、政党のかかげる個々の政策に関する調査研究をなし或いは政府政党のなすこれらの事業に協力することにより政治的分野に介入することはあり得ることといわねばならない。
しかしこれらの活動は当該会社の事業目的との関連における企業活動そのものと考えて差支えない。
従つて例えば会社が特定政党の掲げる或る具体的な経済政策に関する調査等に協力するため必要とされる支出限度を定めて当該政党へ寄金することは問題を生じないと考えられる。いずれにしてもそれは前記純然たる一般的政治寄金とは区別すべきである。
第四、会社の為す政治寄金が違憲、反社会性となる若干の具体的論拠と事例
株式会社のなす政治寄金行為は国民主権の原理に反し国民の参政権、公の秩序を侵害するものであるとの上告人の主張は以上の如くである。
そこでこの点について若干の具体的論拠を明かにしておく
(一) 資本主義経済の発展は必然的に社会の富が株式会社とくに大企業へ集中されるからかかる企業の多額の政治寄金は個人の寄金行為に重大な影響を及ぼし例えば特定個人の寄金の比重を著しく減殺又は助勢することになる。
(二) 現実の問題として株式会社の特定政党への寄金が選挙の結果得票数に多大の影響を及ぼすことは明かでありその結果,それは国民の参政権への侵害といえる(この点後述)

(三) 株主が株式会社へ出資することにより資本的に結合するのは特殊の場合を除きその出資の割合によつて企業利益の分配にあずかるということのほかとくに目的を有しない。その会社財産が取締役の任意に特定政党へ政治資金として供与されるとなると単に株主の持分権の侵害になるというにとどまらず、株主が株主たる地位を離れて他面国民として有する政治的信条を強要される結果を認めること、そして又会社の政治寄金が選挙の得票数に多大の影響を及ぼすところから株主が国民として有する参政権への侵害を招来すること前記同様である。 
(四) 資本主義経済体制の下において社会の富が株式会社とくに大企業へ集中する傾向のあること前記のとおりであることから一般に企業の公器性、社会的責任の説かれることは周知の事柄である
かかる大企業の多額の政治寄金が所謂金権政治の弊に陥らしめる危険があることは原審判決も指摘している、他面これら寄金の大部分が保守党へなされていることにつきそれは現在の資本主義経済機構を維持するために必要であるとの弁明も聞かれかかる観念は公党たるべき国民政党をいわゆる階級政党へ転落せしめるものであり民主主義の原理に叛くものである。
(五) 参政権や公務員となる権利は原則として外国人には認められないことは当然である(憲法一五条、公職選挙法九条、一〇条等)又同様にして外国人、外国法人からの政治寄金行為は許されない(公職選挙法二〇〇条二項政治資金規正法二二条参照)他方株式会社の株主は国籍のいかんを問わず法人であつてもその資格に制限がないから外国人でも株主となり、とくに経済の発展は市場を次第に世界的規模で拡大してゆくから内国会社への外国資本の投下も増大しているのが現状である。
これらの会社にする政治寄金を許すときは外国の内政干渉を招く危険がある、法律にこれら会社からの政治寄金を禁止する規定のない(公職選挙法二〇〇条二項参照)のはこれを許容する趣旨でないことは明かであろう。
第五、原審判決の誤り
本訴において上告人は従来株式会社のなす政治寄金行為自体の本質を直視しこれに厳正なる法の評価を求めてきた。これに対し原審判決はその法律上の解明を回避し却つて会社が当然これを為しうるとの前提の下に議論をされているとしか考えられないのである。
それは例えば会社の政治寄金はそれが政党の公の目的のためのものであることから慈善事業等に対する寄付とその公的性格において逕庭のないものであるとか個人のそれとの間に質的相違を認められないとかの表現のうちに端的にあらわれている。
又問題を立法論に帰せしめているのも同断である、原審判決が会社のなす政治寄金と慈善事業への寄付とを同一視するのは全く首肯できない。
即ち原審判決は政党の公共性を屡々説明し会社のかかる政党への寄金はそれ自体「公共の利益に奉仕する」ものであり慈善事業に対する寄付とその公的性格において逕庭のないものであるとされるがさきにも述べたように政党の公共性ということは言葉の厳密な意味では不正確であり、特定の政党だけを抽出して公共性を云為してみてもそれは無意味である。のみならず原審判決の結論は寄付の対象が公益を目的とする事業団体であれば何人も又何でも是認されるようにも解せられ納得出来ないのである。
これに対し上告人は株式会社のなす慈善事業への寄金は寄金行為自体公益を目的とするもの(少くとも公益を害しない)として是認せられるのに対し、株式会社のなす政治寄金行為は公序に反し公益を阻害する違法なものであると考える。
次に原審判決は「国民はそれぞれ自由意思に基いて投票権を行使することができしかも投票権自体の価値の平等は保障されている」というが抽象的な投票権自体についていえばそれは当然の理であり殊更説明するまでもない事柄である、又「現代政治における選挙の得票数の大部分が政党の掲げる主義政策その他の諸因子(諸因子に何を想定されるかは不明)によつて左右される」という点も格別異論のある筈はない。
しかし問題は価値の平等と行使の自由が保障されている投票権が現実の選挙においてその自由と平等が侵害されていないか又その虞れがないか、その結果投票数に重大な影響を及ぼさないか又その虞れがないか、という点である。
それは例えば政党が資金集めに異常な努力を傾けていることを思えば明白であろう。
金力は例えば得票数獲得のため不可欠かつ最も有力な手段である、それが得票数獲得に決定的影響を及ぼすものであることは実際政治における経験的事実である、このことは得票の手段として買収饗応に使用されるか否かとは本質的にかかわりのないことである。
公職選挙法が選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明かつ適正に行われることを確保するため(同法第一条)又政治資金規正法が政党等の政治活動の公明を図り選挙の公正を確保するため(同法第一条)種々の規正をしているのはそのためにほかならない。
又原審判決は法人に選挙権を認めた過去の事例から理論上は法人の選挙を否定することはできないとされるようであるが現在の憲法秩序のもとでは何らの例証たり得るものではなく選挙権を有しない会社に対して政治的信条を基礎とした政治寄金を許すことはできない。
第二点 株式会社の権利能力に関する法律違反
第一、株式会社の権利能力と目的の範囲
株式会社がその目的の範囲内でいかなる権利能力を有するかは会社についても類推適用される民法第四三条の解釈問題に帰する。
そうしてこの点に関し確定した判例の存することは原審判決が示すとおりである。
ここでその目的を定款によつて定めることにより株主の利益をはかり、次いで右の目的を達成するに必要な行為に迄拡張したのは営利目的を追及するため社会的に存在する株式会社をしてその営業活動を全うさせるために必要であり且つそれは同時に株主の合理的意思に合致するものでもあり最後に右行為の有効無効の判断基準を客観的、抽象的に解釈するのは取引の安全を顧慮した結果にほかならない一方会社は営利をその存在目的とするところから(商法第五二条)その為し得る行為はすべて営利を目的とした取引上の行為である。尤もそれは直接営利の目的を果す行為のみならず、間接に又附随的に、営利を目的とすれば足り、営利の目的に役立つ行為のすべてに及ぶと考えられる。
従つて例えば功労金、退職慰労金、年金等はもとより、寺社の祭礼等への寄付、町会費のほか事業所の存する町会の催し(例えば運動会)等への寄付迄も含むものである。
(尤もこれらのうち寺社の祭礼等の寄付の如きは改まつて営利の目的に関連させるまでもなくその前に社会的なつき合いとして会社と雖も当然これをなし得るとしてもよい)
この点に関し本件第一審判決が会社の行為を大別して取引行為乃至営利行為と、非取引行為乃至非営利行為となし後者は会社の能力上為し得ないとしたのは正当といわねばならない。
これに対しては学者等の中でも少からぬ批判があつたがこれら非難は右判決の意味を正しく理解しない結果である。
右判決の真意を親切に読み取るならば取引行為非取引行為という用語の問題、又多少説明不足の点があつたとしても、それが左程窮屈な理論を述べたものでないことが分かる筈である。
この点について多くを述べないが一例だけをいえば非難のうち例えば非取引行為でも行為を全般的に考えて会社の営利目的に貢献するものがあり、例えば無償行為であつてもそれが広告、宣伝に役立つと考えられる場合もあるというが広告、宣伝に役立つ行為は営利目的に合致するから当然判示のいう取引行為そのものであり会社の目的の範囲内の行為というべきである。
判示もこのことは当然のこととしてただ誤解のないよう法形式上無償の財産出捐行為であつても「経済的対価が期待される場合は当然取引行為の範疇に属するものと認め」ているのである。
要するに判示は会社の行為を取引行為と非取引行為とを大別し後者は営利の目的に反するから凡ゆる種類の事業目的の範囲外としているが結局その意味は営利の目的と無関係には非取引行為を為し得ないといつているに過ぎないのである。
従つて前記確定した判例による限り、会社がいかに独立の社会的存在を認められ一般社会での構成単位をなしていたとしても前記会社の目的を離れて当然にその目的の範囲に屈する行為というものはあり得ないことだといわねばならない。
第二、株式会社の為す寄金と定款の目的
寄金のうちには前記社会的儀礼的ないわばつき合い程度の寄金もありこれらは別として原審判決の挙げる災害救援資金、慈善事業、育英事業或いは本件政治寄金等が会社の定款の目的に属しないことは明かである。
従つてこれらは原則として会社の権利能力の範囲外の行為と認むべきである。
即ちこれら寄金は寄付一般の通有性として、
一、本来会社の営利目的には関係がない。
例えば寄付することにより会社の宣伝に役立つ場合があるがそれは寄付の効果として附随したものというべきであつてだからといつて寄付一般が常に会社にとつて役に立つとはいえないだろう。
これら寄付の行為は例えば個人の寄付でも寄付者の名誉心を満足させる場合もあり寄付に本来的なものでないことは明白である。
従つて仮りに会社がこれら寄付の効果を求めて広告、宣伝のために為した場合それが行為の形式上寄付ではあつてもそれ自体は営利を目的とし会社の能力として為し得ることとせられるべきであろう。
二、任意に為されるものである。
寄付は強制さるべきものではなく従つて寄付の義務は存しない。
寄付することが望ましい、又積極的に為すべきであるとの社会的要請がなされる場合もあるであろうが、かかる要請も時代と社会制度によつて異つてくるであろう。
第一審判決は会社の為す寄付の或る種のものにつき「一種の社会的義務行為」と評価されたが用語の厳密な意味では寄付は社会的義務行為ではないであろう。
三、反対給付を目的としない、このことは寄付の性質上説明の要はないであろう。
右のような本来営利の目的に関係なく何らの反対給付を目的としない寄付一般につきそれが会社の為し得る行為として認むべきか否かは定款の目的従つて会社の権利能力の問題とは別個にその論拠が求められなければならない。
第三、一般慈善事業等の寄付と政治寄金
原審判決の挙げる慈善事業等への寄付は従来会社もこれを為し得ることとして是認されておりその結論は正当である。
そうしてこれらが許されるのはかかる寄付はもともと寄付する者の道義、善意の発露として何人もこれを承認するところであつて(従つてさきに述べた株主の合理的意思にも反しない)、且つこれを為したからといつて法律上も他の法益侵害を伴わないとされるからにほかならない。
従つてこれを会社が為し得るとされるのは会社が単に社会的存在として独立の人格を有するというのみでは足らず会社が人格者として存在する社会において多大の恩恵を受けているため前記の如き普遍性を有し又他の法益を侵さない価値ある寄付として社会への奉仕を認めたものである。
但し個人の場合においてはその全財産を投じて寄付することももとよりその個人の自由であるが会社とくに株式会社の場合には株主の利益を無視することは許されないから一定の制約があることは当然である。
政治寄金の意義性格については本書面第一点で詳細述べたとおりであり、慈善事業等の寄付とは全く異質的なものである。例えば仮りに両者公益を目的とするといつてもその果される公益の性質が異り(慈善事業等への寄付は一般的普遍的な公益目的を有するのに対し政治寄金は直接的には特定の政治的信条に基く特殊具体的な公益を目的とする)両者を同一に論ずることは根本的に誤つている。
従つて慈善事業等への寄付についてこれを会社が為し得るとすることについて格別の理論構成が試みられたと同様(但し納得のいく説明は従来なされていなかつたようである)これと異質な政治寄金について仮に会社のして為し得るとするならその許される理由が明かにされなければならない筈であるがかかる説明は全くない。第一審判決は会社の行為を大別して取引行為と非取引行為に分け後者はすべて会社の能力として為し得ないとしたが右に述べた如く非取引行為のうち慈善事業への寄付等例外的に為し得る行為があるというべきである。そうしてその為し得べきか否かの判断は行為の性質、目的、方法、金額等を考察して具体的、個別的になされるべきだと考える。
何故なら取引行為の場合は取引の安全のため必要性、有益性の判断を抽象的、客観的に判断すべきであつたが、元来会社の目的に屈しない非取引行為の場合には取引の安全を顧慮すべき要請はないからである。
この点について原審判決が後に述べるとおり社会に対する関係において有用な行為は「事業目的の如何及びその目的達成のため必要又は有益であるか否かに拘らず当然にその目的の範囲に屈する」といつているのは理解しがたい。
目的に関連のない行為が「当然にその目的の範囲内に屈する」ということは論理として通じないようである。
第四、原審判決の誤り
原審判決は会社も「一個の社会人としての存在が認められる以上、社会に対する関係で有用な行為は定款に記載された事業目的の如何及びその目的達成のため必要又は有益であると否とにかかわらず当然にその目的の範囲に屈する行為としてこれを為す能力を有する」というが論理的にも誤つている点は上述した。
とくに事業目的に全く無関係に社会に対する関係で有用な行為を目的の範囲内の行為として認めることは会社の能力はその目的によつて制限されないとする所謂無制限説を採るなら格別であるが制限説による限り明かに判示のいう確定した判例に反するであろう。
即ち「一個の社会人としての存在が認められる」会社にとつて何が為し得る行為であるかが問題であり正にこの点が会社も法人であるところから当然類推適用されるべき民法第四三条の解釈として論じられてきたところである。
従つて会社が「独立の社会的存在」であり「一般社会の構成単位」であることについてとくに異論はないが(尤も会社が「一般社会でどんな構成単位」であるか問題であると考えるがこの点は暫く措く)、そのことと会社として何が為し得る行為であるかということとは別個の問題であつて社会に対する関係で有用な行為は個人と同様にこれを為し得るとの説明は法律の解釈を誤つている。
とくに判示がわざわざ会社が「営利を存立の目的とするために自ら目的による権利能力の制限が存することは当然である」としながらこの前提を忘れて広く社会に対する関係で有用な行為はすべて為し得ると認めたのは営利の枠までも一般的に除いた結果になり不当である。
そうして仮に会社が「有用な行為」を為し得るとしても問題は当該行為がいかなる意味で有用であるかであろう。
判示が政治寄金を慈善事業等への寄付、寺社の祭礼のための寄付等の中に解消し、両者が「その公的性格において逕庭はない」とされたのはこれら寄付が社会にとつてどのような意味合いで有用であるかの判断をしないか又はその判断を誤つた結果である。
次に原審判決は会社と雖も社会に対する関係で有用な行為はすべて、会社の能力としては一般的に為し得ると解し、本件寄付の如き無償の支出行為について応分の限度を超えた場合は単に取締役の忠実義務違反を問えばよいとしている。
しかし寄付はそれが無償の財産出捐行為である点において会社の財産を確実に減少させる所為であり又寄付は任意になされるものである点において常に寄付の範囲を応分の限度に止めるという自律的配慮が伴うから、会社として為し得る寄附の限度は会社の能力として画すべきである。
とくに無制約になされたかかる無償行為を対外的に有効とし単に取締役の忠実義務違反のみを問えば足りるとの見解は株主の利益を全く無視した議論というべきである。
従つて原審判決はこの点でも会社の権利能力に関する法律の解釈を誤つている。
最後に公職選挙法及び政治資金規正法の選挙に関する寄付の規定は選挙の公正を期するため一定の場合の寄付の禁止を規定したに止まり、それら法律の趣旨からいつても、又その文言からいつても「寄付してはならない」又「寄付を受けてはならない」旨の禁止規定(取締規定)であつて当該寄付の効力を定めたものではない。しかるに判示がこれらの規定を「一般的には会社による政治資金の寄付が許されるべきことを前提としているものと認めた」のは明かにこれら法律の解釈を誤つたものというべきである。
第三点 忠実義務(商法第二五四条ノ二)に関する法令違反
第一、忠実義務の意義
多数株主が資本的に結合し巨大な社会的経済的活動を営む株式会社においてその活動を十分に果させるためその取締役の権限は実際的にも制度的にも極めて強大である。そのことは取締役が株主から絶大なる信認を付与されたということにほかならないから通常の委任関係に伴う善管義務とは別に更に高度の義務が要請されるのは当然である。
そこで商法は取締役の忠実義務を定めるが、その中核は取締役がその職務上の地位を利用して自己の利益をはかつてはならないという点に存し、同じ義務とはいつても善管義務の場合が単に受任者の事務処理に当つて遵守すべき義務の内容に関する定めに過ぎないのに対し、忠実義務は受任者たる取締役の地位に関し、その職務執行の態度、方法そのものについての義務規定である。
したがつて忠実義務の内容として例えば競合避止義務(商法第二六四条)、自己取引の制限(同法第二六五条)等明文の定めのあるものもあるが、かかる明文の有無に拘らず取締役は「忠実にその職務を遂行する義務を負う」からその地位を他面一般市民として有する個人としての生活領域へ持ち出すことは許されない。結局忠実義務の規定は取締役をしてその重大な職責を果させるため同人に対し当然のことながら公私混同を厳に戒しめたものと解すべきである。
一般には善管義務と雖も受任者の地位を離れてはこれを論じられないから忠実義務もこれと内容的には異ならないとしているようであるがこの場合忠実義務の規定の趣旨を誤らない限りそれは理解の仕方の差異に帰してもよいであろう。
第二、本件政治寄金と取締役の忠実義務
政治寄金は国民個人の政治的信条に基いて支出されるべきであり、特定の政治的信条を保有し得ない株式会社がかかる寄金行為を為し得る能力のないことは勿論訴外八幡製鉄株式会社の定款に違反するものであることはさきに主張したとおりである。
こゝでは会社の能力とは別に本件寄金行為が取締役の忠実義務にも反する点を説明する。

一、地位の混同
取締役が会社を代表して政治寄金を為したとしてもそれは取締役個人の信条に基く行為であることに変りはなく本件寄金行為も又被上告人らが取締役たる会社の機関たる地位と個人としての立場を誤認混同した結果によるものというべく明かに忠実義務に違背する。
尤も右政治寄金が同人らの私益をはかつたものであると断定するのは極論であろうがもともと取締役が個人として為すべき寄金行為を取締役として、会社の名においてその支出を為したことは結果として会社の資産を自己のため費消したと同断である。
仮りに取締役が個人としての立場で支出する意識がなく政治寄金を為すべきことについて一般的に選択権が委ねられていると考えたとしてもかく確認したことにつき過失の責任は免れない。
二、支出の方法
本件政治寄金は直接訴外八幡製鉄株式会社から特定政党である自由民主党へ寄付されている。支出の方法として一般国民とくに右訴外会社の株主をして十分首肯せしめる方法は他にいくらもあると考えられるがこれらの努力工夫が試みられていない。例えば寄付者については取締役等の賞与金を若干増額して各取締役等が個人の立場で各々その信条に従い寄金を為しうるようにしたらどうか、又受領者の選択については直接特定政党へ寄付するのではなく例えば政治寄金の集約機関たる当時の経済再建懇談会(現在はこれが解散して国民協会)のみへ寄付をなすべきではないか等々具体例はいくらもあろう。
本件寄金は他の党内派閥等への一連の支出と前後して為されているうちの一件である。
取締役らはその個人的立場と、考えで乞われるまゝ不用意に支出されたものといつて過言でない。
三、支出の手続
一般的にそうだと考えられるが本件寄金についてもそれは取締役の専権で行われているという。経理上の処理もその名目は単に「営業外費用雑損中寄付」と記載されているのみで他の一般の寄付と区別はないという。(調書の記載はないが第一審の口頭弁論で被上告人ら代理人が明言している)。取締役会の審議すらなく、いかなる決も経ていない。取締役の一存で漫然支出されていることは明かである。
四、使途
一般に寄付は反対給付を目的としない金員等の支出であるからそれがいかに費消されるかは寄付する者において最も留意すべき点である。個人の支出する寄付ですら寄付を受ける者において寄付の対象たる事業計画、資金内容とくにその使途明細を予め明示し、寄付する者においてはその内容を慎重、仔細に検討した上、その冗費を削り、必要限度の支出をするのが通例である。一言にして云えば使途不明の対象へ寄付する者はないであろう。企業経営を担当する株式会社の取締役がこの点につき慎重を期すべきは当然である。
会社のなす政治寄金によつて大半の政治資金が賄われている現在の政党経費がいかに無益に費消されているかは取締役として十分知つていた筈である。この点は一般国民においても最も疑惑を抱いているところですらある。これらの事実につき被上告人らはその認識がなかつた(被上告人の第一審第一準備書面第二、二、(三)の記載)とは到底考えられない。本件寄金も右の如き歴然たる事実に目を掩い支出されたものであつて著しい忠実義務違反があるというほかあるまい。政治資金はその性質上その使途が特に厳正でなければならないとの要請に応えるためにもその冗費、乱費のないよう支出する者において配慮すべきであり、易々諾々と授受されているところにこそ問題がある。
五、金額の多寡
会社のなす寄付一般につきそれが「応分と認められる限度」でなければならないことはいうまでもないが、しかしその限度についての判断は極めて困難である。何故なら寄付の限度額といつても当該寄付の性質を論ぜず単に限度額を定めることは不可能だと考えられるからである。
従つて例えば一般に是認される慈善事業等への寄付の場合でもそれが一般社会の慣行に従い応分の額のものでなければならず又その事業の内容、使途等を検討の上、各個の場合につき具体的に決定さるべき問題だとされている。そこで株式会社の為し得る政治寄金の限度額についてはこれを論ずる前に、上告人の主張するところは政治寄金そのものの性質の問題に解消され、金額の多寡にかかわりのない事柄だというにある。
しかしながらこゝで政治寄金の性質を離れてこれを抽象的な寄付一般の概念としてその多寡のみを論ずるなら、それは例えば会社の資本額、収益力等の関連において極めて少額であり且つその金額そのものが株主及び社会一般の通念に照し不問に付せられるであろうと認められる程度のものであればこれを応分の限度として是認できる。
試みに本件訴訟で対象となつている寄金額は八幡製鉄株式会社が昭和三五年上期分として自由民主党へ寄付したる一件三五〇万円である。そして訴訟の経過において明かである同社の同党への同種の寄金は昭和三四年下期昭和三五年上期両者を合せて右一年間に一九五〇万円に上る。更に同社の自由民主党に限らずその他の団体派閥等への同種の寄金は右期間を通じて一億二八六〇万円に上る。
又上告人が現在株主として入手し、同会社の報告書によつて知り得る同社の経理上の数字を挙げれば
資本金 三八〇億円
昭和三五年九月三〇日現在の貸借対照表
純利益 六五億
自昭和三五年四月一日,至昭和三五年九月三〇日損益計算書
株主配当金 二二億八〇〇〇万円
昭和三五年度上期利益分
役員賞与金 一八〇〇万円
右同
等を示すことができる。
右の各項目と比較して前記寄金額の多寡はいかに判断されるべきであろうか。 
或いは政治寄金も又公共の利益のために為されるとし、或いは更に積極的に「公共に奉仕する美挙の一つ」(被上告人第一審第三準備書面)として前記寄金額を以てしても限度額に足らないとされるか、逆に現在の政治資金のしくみ、使途等に対する一般社会の反省を考慮して限度額を超過していると考えるべきか、最早や理論を越えて判断する者へ二者択一のこととして委ねるほかあるまい。
第三、原審判決の誤り
原審判決は本件寄金行為につき被上告人らの取締役として課せられている忠実義務を判断するに当り、
「株式会社のなす寄付については全人格的な自然人のなす寄付の場合と異り株主の利害との権衡上の考慮に基く合理的な限度すなわち寄付の目的、会社資本の規模、経営実績、社会的地位等から見て応分と認められる限度があるべきであつてその限度を超えてなした寄付は忠実義務に違反してなされたものとして取締役は会社に対し責に任ずべきものといわねばならない」としこの点について上告人は「終始政治資金の寄付は金額の多寡にかかわらずその一切が取締役の忠実義務に違反する行為であると主張するのみで」あつて、被上告人らのなしうべき「寄付の限度について全く主張、立証するところがないからこの点については判断のかぎりでない」
とされるのみである。
そこで原審判決の誤りは次のとおりである。
一、原審判決は本件寄金行為について被上告人らの忠実義務違反を判断するに当り、その寄金の「合理的な限度」を越えているか否かを基準としながら、それは結局「金額の多寡」のみを問題としているようである。しかしこの問題は単に金額の多寡のみならずさきに述べたとおり寄金行為の性質上まずその支出行為の態度、方法をこそ問題としなければならなかつたのではないだろうか。
これらの点については上告人は第一審以来繰返し主張を重ねてきたところであつたがその判断を示されていないのは明かに右忠実義務の規定の解釈適用を誤つたものであり、又はこの点についての理由を示されない違法がある。
二、原審判決が「寄付の限度について全く主張、立証するところがない」とされるのは首肯できない。
即ち上告人は会社の為す政治寄金はその多寡に拘らず違法、従つて取締役の忠実義務にも違反する旨主張しているのであるから例えばその額について応分の限度があるとされるのならその限度を明かにされるべきである。
原審判決は本件寄金行為について被上告人らの忠実義務違反の有無を判断するに当り応分の限度を判断の基準としながら結論として本件寄金がその限度において被上告人らの忠実義務に違反しないという矛盾に陥つているのであつてそれは畢竟判示のいう応分の限度についての判断を回避された結果に外ならないというべきである。
この点上告人の見解によれば本件寄金が右応分の限度内であるとされる被上告人においてその主張、立証があつて然るべきであるのに拘らず、その主張、立証のない本件については被上告人らの忠実義務違反を認めるのが挙証責任分配の原則を持ち出すまでもなく当然のことと考える。
尤も原審判決は政治寄金と雖も一般的に会社の目的の範囲内の行為であるから応分の限度の内外を問わずそれが適法なものであるとなし、その限度は取締役の忠実義務違反の有無の判断にすべて委ねているようである。従つて本件寄金についても一種の推定が働いてこれを適法とし上告人へその主張、立証の責任を求めているようである。
しかし政治寄金について仮りに応分の限度があるとすれば他の寄付一般と同様それが限度内であるということは当該寄付の有効要件であつてこれを超えて為された寄金は取締役の忠実義務を問題とする前に既に会社の行為として認めがたいというべきである。
このことは例えば会社を危殆に陥らしめるほど極端に多額の寄付をなした場合を考えれば明らかだろう。
従つて本件寄金行為について被上告人の忠実義務違反を問題としてそれがその応分の限度であるか否かを判断するに当つて一応限度内であると推定されることはあり得ないというべきでこの点原審判決は二重の誤解をされていると考えるほかない。
 結語
以上の次第で上告人は原審判決の判断、結論のすべてを承服することができない。

上告人の上告理由

 目次
はじめに
第一、会社の本質、目的、能力
一、商法及び民法の規定とその解釈
二、特例
三、政党(その他の政治団体を含む)に対する会社の政治資金の寄附
1 政党(その他の政治団体を含む)の性質目的
2 政党(その他の政治団体を含む)に対する会社の政治資金の寄附
3 政党(その他の政治団体を含む)の現状と会社の政治資金の寄附
第二、会社の定款と政治資金の寄附
一、定款の目的規定とその解釈
二、八幡製鉄株式会社の定款と政治資金の寄附
第三、取締役の忠実義務
一、取締役の権限とその責任
二、取締役の忠実義務
三、忠実義務と会社の政治資金の寄附
第四、憲法と会社の政治資金の寄附
一、民主政治と国民の参政権
二、国民の参政権と会社の政治資金の寄附
三、会社の政治資金寄附は違憲である
1 外国の内政干渉の危険
2 国民参政権の侵犯
3 株主の権利の侵害
四、公職選挙法及び政治資金規正法の規定について
1 両法の規定と民法商法
2 両法の規定の違憲性
第五、会社の損害について
結び

 上告理由
はじめに
八幡製鉄株式会社の本件政治資金の寄附について原審判決は当然に会社の目的の範囲に属する行為として法律上会社の為しうるところで公序にも反しないものであると断じ、その額が合理的な限度内では取締役の責任も生じないとして本件寄附を適法なりと結論された。しかし右判断は会社の能力、取締役の忠実義務に関する法律の解釈適用を誤り且つ会社のなす政治資金の寄付に関し公の秩序の判断適用を誤つており全く首肯することができない。従来、第一審及び第二審において、上告人は準備書面を以て、所見をのべたが、主として私法的見地から立論したものであり、且、長年月に渉り、重複混雑のきらいがある。
よつて、本理由書においては、若干の補正を加えて、これを取りまとめ、尚特に憲法問題としても、審理を願うこととし、第二審判決の理由と対照しつゝ主張をのべる。
なお、補正を要する点があれば、必要に応じ書面を以て陳述する。
第一、会社の本質、目的、能力
一、商法及び民法の規定とその解釈
1 会社は法人である(商五四)
2 法人は、法令の規定に従い、定款又は寄附行為に因りて定まりたる目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う(民四三)
以上は、会社の本質及びその能力に関する原則であるが、商法は、更に会社の定義を定め
本法に於て、会社とは、商行為を為すを業とする目的を以て、設立したる社団を謂ふ
営利を目的とする社団にして、本編の規定に依り設立したるものは、商行為を為すを業とせざるも、これを会社と看做す(商五二)
と規定し、更に商行為を分ちて
絶対的商行為(商五〇一)
営業的商行為(商五〇二)
附属的商行為(商五〇三)
の三つとしている。
以上の中、絶対的商行為と営業的商行為とは、規定により、ほゞ明かであるが、附属的商行為については、(1)商人が、其の営業の為めにする行為は、これを商行為とす。(2)商人の行為は、其の営業の為めにするものと推定す、と定めている。
商法は、営利行為と非営利行為、営業行為と非営業行為とを区別しているが、その区別の基準を定めていない。結局社会常識の判断にまかせているのであろう。
商法の規定している会社の目的(殊に附属的商行為)の範囲は、頗る広汎であるが、尚、一般取引の円滑なる運営を期するため、目的の範囲を、極めて広く解することとなつている。
しかし、会社の目的をいかに広く解しても、社会常識において、会社の営業目的と、全く無関係と認める行為までを含まないことは、明かである。現行法の解釈として、法律の認める会社の目的には限界があり、会社の能力も亦原則として、これにより制限せられると解すべきである。
これは、判例およびわが国多数学説の一致する見解であり、上告人も、これに従う、判決は、これを肯定しているようであるが次にのべるごとく、その見解が一貫していない。
二、特例
以上は、商法の定めている原則であるが、本来、会社は社会的存在であり、社会的活動体である。殊に、世界経済の急速な発展に伴い、会社特に株式会社の活動範囲は、極めて広汎となつた。
会社の存立繁栄が、社会に負うものである以上、会社は、余力があれば、その範囲内において、社会に報いるのは当然である。(利益の社会還元)
これに該当するものとして、従来認められているものは、慈善事業、社会事業、育英事業、災害救助事業、或は祭礼の寄附等(以下慈善事業等の寄附という)である。
この点に関する判決の結論について、上告人も、異論はないが、その理由を異にする。
判決は、「会社は、社会的存在であり、社会の構成単位を為すものであるから、社会に対し、有用なことは、会社の事業目的如何に拘らず、当然その目的の範囲内の行為に属するものとして、為すことができる」と言つている。
しかし、上告人は、「法が、会社の目的を定めている以上、その目的と無関係の行為を、法の目的範囲に強いて入れようとすることは、それ自体無理である。又、国語の一般用例にも反する」
思うに、判決は、会社も自然人と同じく、社会的存在であり、社会の構成単位を為すものであるから、自然条件(身体生命等)に因る相違は、やむを得ないが、その他については、自然人と同じく「何でもできる」と主張しようとしているのではないか。
しかし、いうまでもなく、法人は、特定の目的を以て結合した、人の団体であり、これに対し、法が、その目的遂行に必要な範囲において人格を認めたものである。従つて、法人の活動能力は、その目的いかんによつて異なる(法人の種類)会社が、その目的いかんにかゝわらず、「何でもできる」と考えるのは、法人の本質、現在の法人組織を無視する非難を免れない。
これにつき、上告人は、次のごとく考える。
元来、法律は、自然人についても、又法人に対しても、その日常の生活、活動の全部を規律するものではない。原則として、人の行為が、他人との関係を生ずる場合において、その関係を規律するものである。
他人との関係を生ずる行為についても、他人(相手方及び第三者)に対し、利益のみがあつて、不利益を生ずるおそれがないと法が認める行為は、その限りにおいて、法の規律の範囲外の行為として、これに干渉しない。
慈善事業等に対する寄附は、この意味において、法の規律外の自由行為、或は法の黙認する行為と解すべきである。
すなわち
慈善事業等に対する寄附は、会社の目的の範囲外の行為であるが、その行為の性質に鑑み例外として、法律の許容する行為であるとするのが妥当であると信ずる」
尚、判決は、「社会に対し有用な行為」は会社の目的の範囲内に属すると簡単にかたづけているが、法律の定めている会社の目的を超えて、会社の為し得る行為は、例外であり、厳重な制限条件がなければならぬ。その制限条件は、個々の場合について定めるほかないが
1 その行為が、社会的に有益であること、すなわち、社会的(道徳的)の善事、若しくは、何人も当然為すべき行為と認められるものであること。
2 その行為が、社会的に無害であること、すなわち、行為の相手方及び第三者の権利利益を害するおそれがないと認められるものであること。
3 従つて、その行為に対し、常識ある社会人の反対を予想せられないこと。
等は必須の条件であろう。
尚、これ等の行為と雖も、商法の原則に対する例外であり、殊に寄附は、会社の犠牲を伴なうものであるから、寄附金額についても、相当若しくは応分の程度を越えることは許されないであろう。
以上、例外として認められる為めの条件は、次項、会社の政治資金の寄附(以下会社の政治寄金という)についてのべるところと関連する。
三、政党(その他の政治団体を含む)に対する会社の政治寄金
1 政党その他の政治団体の性質目的
わが国には、政党その他の政治団体の組織活動の一般原則を定める法規がない。
たゞ、政治資金規正法(以下規正法という)は、政党、協会その他の団体(以下政治団体という)の定義を定め、
(イ) 政党とは、政治上の主義、若しくは施策を推進し、支持し、若しくはこれに反対し、又は、公職の候補者を推薦し、支持し、若しくはこれに反対することを本来の目的とする団体をいう。
(ロ) 協会その他の団体とは、政党以外の団体、政治上の主義、若しくは施策を支持し、若しくはこれに反対し、又は公職の候補者を推薦し、支持し、若しくはこれに反対する目的を有するものをいう。
と規定している。
すなわち、政党その他の政治団体は、各自の主義主張を有すると同時に、これに反対するものの所在することを予想している。
これは、政党という語が、英語の Party という語から来たものであり、一部又は部分であつて、全部、又は全体を意味しないことからも明である。
従つて、その主義主張が、各個別々の政党の主義主張である段階においては、未だ全体(この場合においてはすべての政党)の統一的主義主張ではない。
2 政党その他の政治団体に対する会社の政治寄金
政党に対する政治寄金も、その他の政治団体に対するものも、ほぼ、同性質のものであるから、ここでは、政党に対するもののみについてのべる。
イ、政党は、前述の如き活動(一括して政治活動という)をなす目的を有する団体である。会社の政治寄金は、この政治活動を支持する目的を以てなされるものである。すなわち、会社の政治寄金も亦政治活動の一である。政治活動が、会社の目的の範囲内に属しないことは、いうまでもなかろう。
政党の政治活動が、経済問題に関する場合に、会社の目的と関連するものがあり、これに対し、特別の考慮を払うことはあり得るが、これは、稀に見る例外であり、一般的には、政治活動は経済活動と区別して考察する外はない。
ロ、政党に対する会社の政治寄金は、前項特例の中にも入らぬ、試みに、慈善事業等と、政党の政治活動とを比較すれば
a 慈善事業等は、社会的(人道的、道徳的)事業を目的とするに対し、政党は、政治活動すなわち自党の主義政策の遂行を目的とする。
b 慈善事業等は、その相手方及び社会一般に対し、益のみがあつて、害はないと認められるのに対し、政党の活動は、反対党から見れば、社会に対し、有害無益であると考えられる場合がある。
c その結果、慈善事業等に対しては、広く社会全体(一国、一民族を越えて)から是認せられるのに対し、政党に対しては、一国内においても、常に反対党(反対者)が予想せられる。
判決は両者共に公共の利益を目的とするものであり、これに対する寄附も、公共の利益に奉仕するものであるといつているが両者の間には、その性格、目的、普遍性等において根本的の相違がある。公益という語にまどわされてはならぬ。
両者共に寄附であり、会社から無償で供与せられるものであることにおいては、同一であるが、これを受けるもののいかんにより、善悪正邪の別を生ずる、恰も、光線が、太陽から出るときは、一色であるが、地上に照射するときは、その照射を受ける物体により、黒白、赤青等種々の色を表はす、この色の差別を見ることのできない者は、色盲である。
3 政党の現状と会社の政治寄金
以下のべるところは、直接の法律論ではないが、判決に示されている点に対し、上告人の見解をのべる。
政党は、民主々義議会制度の下において、不可欠の存在であり、各政党が、その本来の使命に従つて、正しく活動し、健全な発達を遂げることは、上告人も、国民と共に、希望するところである。
たゞし、これは、政党を包括的に見て、すべての政党が、各々合理的に活動し、互に長をとり、短を捨て、以て善政の基礎をつくることを求めているのである。
しかるに、政界の現状は、遺憾ながら、この希望から遠い、各政党の主義政策は、各政党自身は、国家公共の利益であると考えているのであろうが(中には、党利党略によると疑われるものもある)これに対し、殆んど常に氷炭相容れない反対党の主張があり、公職の候補者の選挙に当つても同様である。これが為に、政党間に、議会の内外において、国民をして眼をそむけしむる見苦るしい闘争を演じている。
又、判決にのべている国民世論の指導、国民の政治意識の高揚についても現在の政党間の主義主張の対立は、恰も敵対関係に在る国家間の、抗争にも比すべき、矛盾を蔵し、これが為めに国民は、その適従するところを見失なわされている。
かくのごとき現状の下において、会社が、特定政党に対し、政治寄金をすることは、受寄政党には有利であろうが反対党にとつては、それだけ不利となり、政党間の対立を激化し、各々不当の政党資金を漁り、却て、すべての政党の正しい真の発達を阻害することとならぬか。
若し夫れ、その政治寄金が、「ひもつき」である場合を想像すれば、慄然たらざるを得ない。
判決ののべているところは、すべての政党が、正しい活動をすることを前提とした理想論であり、現実を無視した空論である。
 上告人は、会社の政治寄金が、政党の正しい活動と健全な発達、いいかえれば、政党政治の真の発展に資するものであれば、慈善事業等のごとく広く社会性、道徳性、普遍性を有するものではないが、これに準じて、法の例外として認めてもよいかと考える、しかし現時点において、個々の政党の活動の支援を目的とする会社の政党寄金は、許さるべきでないと信じる。
第二、会社の定款と政治寄金
一、定款の目的規定とその解釈
法は、会社の目的は、定款の定めるところに、まかせているが、それは、法の定めている広汎な会社の目的の中から、その一つ或は数個を選び、会社の任意にその目的とすることを許したものである。法の規定の範囲を超えることは許されない。法の規定の範囲内において、その選択の自由を認めたに過ぎない。
元来、定款は、その性質上、会社内部(対内的)には、完全な支配力を有するが、対外的には拘束力のないものである(登記により、第三者に対し、対抗力を有することとなつているが)しかも、その目的規定が、通常抽象的であり、具体的でないため、対外的には、定款の規定する目的の範囲を広く解し、以て一般取引の、円滑なる運営を図つていることは、前に述べたとおりである。」
しかし、これは、対外関係についてのことである。会社内部関係においては、取締役は、定款の意味するところを、完全に理解し、会社の為し得ることの限界は十分知悉している筈である。従つて、内部関係においては、定款の規定は、これを厳格に解し、或る行為が、対外関係においては、有効とみなされる場合においても、取締役は、定款違反の責任を免れないことがある。
二、八幡製鉄株式会社の定款と政治寄金
同社の定款第二条には、「鉄鋼の製造及び販売、並びにこれに附帯する事業を営むことを目的とする」と定めている。
此の規定は、「附帯する業務」という語を含めても、政治寄金を含まないことは、前にのべたところで、明らかである。すなわち、会社の目的を逸脱する行為であり、又前にのべた特例の中にも入れることはできない。
これに対し、判決は「会社の政治寄金が、八幡製鉄株式会社の定款に違反する行為であるとの被控訴人の主張について」と題して、縷々数千言を費やしているが、悉くとるに足りない。
これについては、前項「会社の本質、目的、能力」の部に、上告人の見解をのべておいたから、ここには省略する(忠実義務違反、及び憲法違反については、次にのべる)
第三、取締役の忠実義務
判決は、取締役の忠実義務違反については、ほとんど触れていない、ただ、政治寄金の金額が、判決にいうところの、相当額を超過する場合において、忠実義務に違反すると言つている。
しかし、これは、忠実義務の何たるかを全く理解しないものである。よつて、ここに、稍詳細に所見をのべる。
一、取締役の権限とその責任
現行商法において、取締役の権限は、旧法(昭和二五年改正以前の商法)に比し、著しく拡張せられている、
その要点は
1 従来、会社の重要事項は、株主総会の議を経ることとなつていたが、新法は、総会の権限を縮小し、これを取締役に移した(商二三〇の二、二六〇、二八〇の二、二九六等)

2 監査役の業務監査権を削つた(商二七四)
3 資本と経営とを分離した(商二五四、二項)
これ等一連の改正により、取締役は、会社経営につき、殆んど全権を握り、それだけ株主の権限は縮小せられた、言はば、取締役は、株主の絶大なる信任を受けたわけである。
権限の大なる者は、責任も亦重い、信任を受けた者は、これに応えねばならぬ。
二、取締役の忠実義務
この重大なる責任を果さしめるために、商法は、従来、取締役に課せられていた「善管義務」に加え、新に二五四条の二の規定を設け、両者相待つて、取締役の責任の完遂を期した。
本条の規定は、これを一括して、忠実義務と言われているが(広義の忠実義務)、本条前段「取締役は、法令及び定款の規定並びに総会の決議を遵守し」というのは、殆んど当然のことであり、本条規定の重点はその後段「会社の為め忠実にその職務を遂行する」ことを命じた点にある(狭義の忠実義務)すなわち、前段の義務を果したのみでは、取締役は、未だ以てその責任を完遂したということはできない、更に進んで積極的に、忠実にその職務を遂行することを求めたものである。
「忠実」とは、いかなる意義内容を有するか。
これについては、已に提出した準備書面に詳細に所見をのべておいたが、要するに「誠心誠意、私心を去り、全力を挙げて会社の為めに尽す」ということである。
法は、普通、外部にあらわれる行為を規律するものであるが、本規定は、取締役の「心構え」「覚悟」を要求しているのである。善管義務は「事務的注意義務」であるが、忠実義務は「包括的用意義務」である。
取締役は、会社の機関たる地位を有すると共に、個人としての立場をもつ、取締役として会社の業務を行うに当つては、取締役たる立場が常に優先する、いわゆる「公私混同」は、断じて許されない。
この忠実義務は、取締役自身も、一般社会も、これを軽視している、取締役は、その権限の拡大されたことのみを見て、会社をその私有物なるがごとく考え、社会一般も亦これを看過している。権限の拡大は同時に責任の加重を伴なう、取締役たる地位は「神聖にして侵すべからざるもの」ではないことを忘れてはならぬ。
三、忠実義務と会社の政治寄金
会社の政党に対する政治寄金は、会社の本質に反し、定款の目的の範囲を逸脱する行為(定款違反、広義の忠実義務違反)であることは、前述のとおりであるが、更に狭義の忠実義務違反、すなわち取締役の「心構え」「用意の」不当不足と見るべき点を例示すれば
1 株主の無視
取締役は、政治寄金をなすに当り、全く株主を無視している、会社の金は、会社の金であり、株主の金ではないが、株主は、会社財産に対し、株主権の一部として、一種の持分権ともいうべき権利をもつ(会社も帳簿上「株主勘定」を設定し,負債勘定に入れている)取締役が、その委託せられた会社の営業以外に、会社の資金を他人に無償供与するに当り、株主の意嚮をきかないことはもちろん、取締役会も開かず、ただ常務に従事する少数の取締役のみでこれを決定実行している。
これは、明らかに取締役の権限を越え、会社を私有物視しているものである。恰も番頭が、その地位を悪用し、主人に無断で、主人の金を勝手に消費したのと同様である。 
2 取締役の不用意
凡そ寄附の場合には、寄附を求める者は、その事業計画、予算、寄附金の必要性及び使途等を定めてこれを要請し、寄附者は、詳細にこれを検討して、諾否を決定するのが普通である、自己の金を寄附する場合にも、これを実行している。
本件の場合においては、この普通の手続すらこれをとつていない。これは手続の問題であるが、これで果して取締役は、忠実に会社の為めにその職務を行つたということができるであろうか。
3 政治寄金の使途と挙証責任
政党の政治資金は、その大部分は、正しい目的のために、正しく使われているであろうが、その或る部分が、無益に浪費せられ、又は不正不法に乱費せられていることは、遺憾ながら事実であり、しかも公知の事実である。
会社の政治寄金は、この一般政治資金と一括して使用せられるものであるから、その或る部分が、不当不正の使途に供せられるおそれがあることも、当然予想せられるところである。
しかるに、本件寄附の場合において、その不当不正の使途に供せられるおそれに対し、何等防圧の対策を講ぜず、普通一般の政治資金として漫然寄附している。これで取締役は、忠実に会社の為めに尽したといえるであろうか。
判決は、上告人が「会社の政治寄金はすべて「紐つき」でありその使途も、すべて不当不正である」と主張している。と誤解しているようである。
上告人は、かかる事実に反する独断を主張したことはない。
これに対し、被上告人は、曾て、寄附金の使途は受寄者たる政党の決定することであり、寄附者たる会社の「関知することではない」と弁明したことがある、上告人は、その「関知しない」ことが、忠実義務違反であるというのである。(若し、会社が、その寄附金が不正不当に使用せられることを知りながら寄附し、それが、不法に使用せられれば、会社もその共同責任者であり、共犯となるであろう。)
次に判決は証拠云々につきのべているが前述のごとく、政治資金の一部が、不当不正に使用せられていたことは、公知の事実である、特に証明を要しない、政治寄金は、政治資金の一部であるから、政治寄金の一部も亦、不当不正に使用せられていたと考えるのは常識である、過去の政治寄金が、そうであるとすれば、これと同一条件で新に寄附するものも亦、同様に不当不正に使われるおそれがある、そのおそれがあるに拘らず、漫然寄附を行つたことが、忠実義務違反であるというのである、上告人の主張は常識的の推理による、若し「この公知の事実を知らなかつた」又、本件寄附については「不当不正に使用せられるおそれのないよう、予防の手段を講じている」というのであれば、その証拠を示して欲しい。
本件寄附は、取締役は、おそらくは、すべての事情を知りながら、これを敢てしたものである。
第四、憲法と会社の政治寄金
以上は、会社の政党に対する政治寄金を、主として、私法的見地より観察し、寄附者たる会社の本質、能力に鑑み、定款及び取締役の忠実義務違反であることを述べた。
しかし、政治寄金の性質から見るときは政治寄金は、寄附を受ける者の政治活動を支持する目的を以て為される、政治活動の一であるから、その行為の性質に鑑み、これを憲法の精神と規定に照して観察することを要する。
一、民主政治と国民の参政権
わが国は、憲法の改正と共に、民主国家となつた。
民主国とは、国民が、又国民のみが、主権者たる国家である。
憲法前文に
そもそも、国政は、国民の厳粛なる信託によるものであつて「その権威は国民に由来し」「その権力は国民の代表者がこれを行使し」「その福利は国民がこれを享受する」
と定めているのは、この趣旨である。
ここに、国民というのは、日本国籍を有する自然人である(憲一〇、国籍法)日本国民たるには
1 日本国籍を有することを要する
2 自然人に限る、自然人以外の法人、団体等は、日本国民ではない。
わが国は、自然人たる日本国民のみが、主権者である民主国家であり、日本国政は、日本国民のみが、自由且平等に選挙した代表者によつて行われる民主政治である。
主権者たる日本国民が、国政に参与する権利、すなわち参政権は、自由権、平等権、社会権等と共に、憲法が、基本的人権として厳粛に保障するところである。
憲法が、特に明文をかかげている参政権は、次の通り
A 公務員の任免(憲一五)
1 国会議員の選挙(憲四三)
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員の選挙(憲九二2)

3 最高裁判所の裁判官の国民審査(憲七九)
B 特別立法権
1 憲法改正の承認(憲九六)
2 地方自治特別法の同意(憲九五)
この参政権は、国民のみの有する、基本的人権であつて、国家も、又他の何人もこれを侵してはならぬ、同時に、国民自身も、その保持につとめ、これを譲渡したり放棄することはできない(憲一一、一二、一三、九七等)
参政権中、国民が直接に行使する、最重要な権利は、公務員の選挙特に国会議員の選挙である。
国会議員の選挙については、憲法は
1 成年者による普通選挙(憲一五3)
2 選挙権の絶対的平等(憲一四、四四)
3 選挙の絶対的自由(憲一一、一三、一五4)
を定め、又公職選挙法(以下選挙法という)政治資金規正法(以下規正法という)を設けて、選挙の公明を期している。
二、国民の参政権と会社の政治寄金
参政権は、国民のみに与えられた基本権であり、国民以外の者は、参政権を有しない、又、参政権は、国民が、完全な自由と平等をもつて行使すべきものであり、何人もこれを侵すことは許されない。
然るに、政党に対する会社の政治寄金は政党の政治活動を支持する目的を以てなされるものであり、政党の政治活動の主なものの一つは「公職の候補者の推薦、支持、反対」である、すなわち会社の政治寄金は、政党を通じて公職の候補者の推薦、支持、反対に重大なる影響を及ぼす目的を以てする行為である。これは、従来、各政党が、国会議員の選挙に当り、多額の政治寄金を集め、政党自身、又は党員、同調者を通じて、その推薦者の支持、反対党の推薦者に対する反対運動を為し、甚しきに至つては、買収、供応等の選挙犯罪が跡を絶たぬことを見ても、動かすことのできない事実である。
これは、国民が自由意思により行使すべき参政権の行使に介入するものである。すなわち、参政権の侵犯である。
尚、これは、参政権を有せざる者全部に共通の問題であつて、会社に限らず、会社以外の法人、団体についても、同様に解すべきである。
参政権を有する国民についても、他人(国民)の参政権の自由を侵し、平等を破ることはできないことはいうまでもないが、一考を要することは、元来、国民各個人の間には、精神的、身体的、その他に隔差がある。
この隔差は、憲法もこれを否認しない、憲法は、この隔差はこれを認めつゝ、その基盤の上に、参政権の自由平等の原則を樹立しているのである。
上告人は、参政権を有する国民に限り、一定の制限の下に、政治寄金を許すほかないが、その限度は、憲法の容認する隔差の範囲を越えることができない、換言すれば、国民各個の参政権の自由平等を侵さない範囲において、これを認め、例えば、年額最高限度を定める等、厳重な制限を設ける必要があると考える。
三、会社の政治寄金は、違憲である。
会社の政治寄金が、違憲行為であることにつき、具体的な場合を例示すれば
1 外国の内政干渉の危険
国家と会社とは、その組織の根本を異にする、国家は、その国籍を有する国民を基盤とするが、会社例えば株式会社の株主は、国籍のいかんを問わない、外国人でも、日本の会社の株主たることができる、要するに、会社は国際的存在である。
これにより、当然想像せられることは、会社の政治寄金を通じて、外国が、わが内政に干渉する危険があることである。
このことは、選挙法二〇〇条2、規正法二二条が、外国人、外国の法人団体から選挙資金の寄附を受けることを禁止している趣旨からも、明らかなことである。選挙資金に限らず、政治資金全体についても、同様に考うべきである。
2 国民の参政権の侵犯
会社の政党に対する政治寄金が、政党の政治活動を通じて、国民の参政権、例えば、国会議員の選挙に影響すべきことは、極めて明らかである。
然るに、判決が「公務員の選挙権その他の権利の行使自体が、政党に対する会社の政治寄金によつて影響せられるところがない」と独断しているのは、不可解というほかはない。

現実に、何人の参政権が、いかに侵されるかは、明らかでないが、国民の参政権の行使を侵す、例へば寄附を受けた政党の推薦する候補者を支持し、反対党の推薦する者に反対する目的を以てなされることは明らかである。それが違憲であるというのである。
3 株主の権利の侵害
これについては、前に、忠実義務違反の一例として「株主の無視」の項にのべたごとく、取締役が、株主の同意を得ずして、その権限を越えて会社の財産を、その好むところの政党に寄附したものであり、株主権の侵害である、しかもそれは政党に対する政治寄金であるから、株主個人の意思に関係なく、受寄政党の政治活動を支持せしめられたこととなり、株主個人の参政権行使の自由を侵されたこととなる。
判決は、上告人が第二審裁判所に提出した準備書面に「株主の参政権」という用語があつたことを指摘している。
これはいうまでもなく「株主たる個人」の意味である。(あたかも、本訴に関係ある商法二六六条に「取締役は会社に対し、連帯して、会社が蒙りたる損害を賠償する責に任す」という規定にいわゆる取締役は、取締役個人を意味するのと同様である)
四、選挙法及び規正法の規定について
1 両法の規定と民法及び商法
両法の規定中、選挙資金の寄附(以下選挙寄金という)に関するものには首肯し難いものがある。
A 寄附者の制限
イ、特定の寄附者の制限(選挙法一九九、二〇〇)
ロ、公職の候補者等の寄附の禁止(選挙法一九九の二)
ハ、公職の候補者等の関係会社の寄附の禁止(選挙法一九九の三)
ニ、公職の候補者の氏名を冠した団体の寄附の禁止(選挙法一九九の四)
ホ、本人以外の名義及び匿名の寄附の禁止(選挙法二〇一)
B 受寄者の制限
イ、選挙法一九九条に定めた者の寄附(選挙法二〇〇2)
ロ、外国人、外国法人、外国の団体からの寄附(選挙法二〇〇2)
ハ、本人以外の名義及び匿名の寄附(選挙法二〇一2)
次に、規正法は、政党協会その他の団体又はその支部は、前記Bのイ、ロ、ハの寄附を受けてはならないと規定している。(規正法二二)
又、両法とも、寄附を禁止せられている前記Aのイ、ロ、ハに規定している者からの寄附の受領を禁止する規定がない。
以上両法の規定中、会社及び団体の寄附については、選挙法一九九条の三、一九九条の四に、特定の場合に限り、禁止の規定があるに、過ぎず、しかも、その制限すら、政党その他の政治団体及びその支部に対する寄附については、これを除外している。
これ等の規定は、商法の規定と、矛盾しているように読める。
これを調和し、両法の規定を両立せしむるには、
選挙法及び規正法は、公法である、選挙寄金のあり方を取り締り、選挙の公明を期することを目的とするに対し民法商法は、私法である、行為の成立要件、その効力等を定めることを目的とする。
両者法域を異にし、寄附の有効無効等は民法商法の規定による、と解するほかはないようである。
2 両法の規定の違憲性
会社その他の団体の政治寄金は、民主政治のわが国において、参政権を有しない者が、国民の参政権の行使に、介入するものである。両法が、これを認めていると誤解せられるおそれのある規定を設けていることは遺憾である。
この外、例えば、規正法は
この法律において寄附とは、金銭物品その他の財産上の利益の供与又は交付その供与又は交付の約束で、党費会費その他債務の履行として為されるもの以外のものをいう。
と定義している、一見、もつともな規定であるが、政党が、政治資金を集める手段として、別の団体をつくり、会社をその団体に加入せしめ、会費等として徴収する脱法行為を生ずるおそれがある、規正法等が「ざる法」と批判されるゆえんである。
本件においては、選挙法、規正法の違憲問題を、直接にとりあげるものではないが、政治寄金に関する両法の規定は、速かに再検討を要する。
以上のべるところにより、判決が選挙法及び規正法の規定を引用して、会社の政治寄金の合法性を主張する根拠としているのは誤りであると考える。
第五、会社の損害について
これについては、判決は言及していないが、被上告人は
若し会社の政治寄金が、上告人のいうごとく、定款、忠実義務違反であれば、当然無効であり、会社は、その返還請求権があるから、会社には損害はないはずである。
とのべている。
上告人は、本訴の争点を、取締役の会社に対する責任問題に限り、寄附の効力はこれを問題外としている。
しかし、被上告人のこの反論は、本訴の成立に関係を有するものであるから、ここに一言する。
一、上告人は、本件寄附が無効であり、会社に返還請求権があつても、取締役の賠償責任には変りないと考える。
法の精神は、取締役の違法行為により、会社に「穴」をあけ、その「穴」がうまらぬ間は、取締役は、常に填補の責任がある、というのである。
賠償責任と、返還請求権とは、別個の法律関係である、一は会社と取締役との関係であり、一は会社と行為の相手方との関係である、賠償責任は、損害の存在を前提とし、若し損害が填補せられれば(填補する者は、行為の相手方たることを要しない、何人でもよい)解消する、しかし返還請求権は、会社の損害の有無には関係がない。
二、普通の取引行為においては、その行為が無効であれば、当事者の一方が給付したものの返還請求権がある。しかし、本件の場合には、寄附の有効無効は、当初から、当事者双方の念頭になかつた。寄附者は無条件に寄附し、受寄者も、無条件にこれを受けたものである。見方によつては、寄附が無効であつても、返還の請求権は、予めこれを放棄していたのだと考えられるかも知れぬ。普通の取引の概念を本件の場合に適用できるか否かには、疑問がある。
会社が、寄附金を損失として計上し、そのまま今日に至つていることからも、会社自ら損失であると考えていることは明かである。
 結び
以上、本訴に関係ある法律問題を主として所見を述べた。
政治資金及び政治寄金の全貌は、複雑尨大でこれを知ることは至難である、自治省告示により、公表せられているもののみでも、年々数百の会社、団体、個人から、数十の政党その他の政治団体に対し、件数数千件金額数億乃至数十億円の寄附がなされている。
しかも、これは、受寄政党その他の政治団体から、届け出で、官報に告示せられたもののみで、届け出のないもの、個人に対するものを含まない、若しこれ等全部を合算すれば、おどろくべき巨額に達するであろう、各種選挙の際、国民の耳目にふれる実情に徴しても想半ばにすぎるものがある。
しかし、上告人は、法的に見れば、会社の政治資金は、質の問題であつて、量の問題ではない、判決は、政治寄金を合法と解し、金額のみが問題となり得るとしているが、寄附金額の多少は問うところでない。もつとも、社会常識が問題とするに足らぬとする程、少額の場合(彼の葉煙草専売法違反の一厘事件のごとき)は、もちろん論外である、これが、八幡製鉄株式会社は、本件寄附を為した昭和三五年の一年間においても合計一億円以上の寄附をしているにかかわらず、その中の一件、金額も僅かに三百五十万円のみをとり上げたゆえんである、これは正に氷山の一角その一点にすぎない、上告人は、裁判所がこの一点の背後に横たわる巨大な氷山の全貌を正視し、これをテストケースとして、公正な名判決を下されることを期待するものである。
尚、従来の裁判の経過に鑑み、遺憾なことは政治寄金に関し、直接簡明な法の規定を欠く為めに、裁判官及び学者、実務家の意見中に上告人の主張は、「立法論」であるとか「従来の慣行を無視するものである」とかの俗論を見ることである。
上告人は、商法民法の現行規定を、正しく理解すれば、会社の政党寄金は、違法行為であることは、極めて明白である、解釈論であつて、立法論ではない、殊に、これは、前述のごとく違憲行為であるにおいておやと信じる、又慣行といつても、現在のごとく、白昼公然と、会社の政治寄金が行なわれるようになつたのは、敗戦後のことであり、又多数の会社といつても、これを会社の総数に比すれば、少数数百社にすぎない、多数の会社の、多年の慣行とは言えない、仮りに或る程度の慣行であるとしても、かくのごとき、不法不合理の慣行は、法の許さざるところである。
現在の実情は、悪いことと知りながら、金のあるところから、寄附を受けることが、便宜である為めに、正しい政治意識に欠けている政治家、財界人が、会社の金を、恣に流用しているのである、又一般社会の人々は、その不正不当を知りつゝ、これを批判することは直接、自己に何等の利益なく、却て意外の不利益を来すおそれがある為めに、「見て見ぬふり」をしているのである。一般社会が「黙して語らない」のは「是認」又は「容認」しているのではない、その結果、安易に金を得て、安易にこれをつかう、これが百弊のもととなつているのである。
以上、要するに、わが国は、民主国家となつて、日尚浅い、改むべく、為すべきことは、甚多い、その中で、政治の浄化合理化は、急務中の急務である。これが衰老微力を省みず残年をささげることを決意したゆえんである。