最高裁判所第一小法廷平成24年(受)第133号 平成26年3月6日判決

       主   文

1 原判決中,上告人敗訴部分を破棄する。
2 前項の部分につき,被上告人の控訴を棄却する。
3 控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

       理   由

 上告代理人Cほかの上告受理申立て理由について
1 本件は,無罪判決を受けた被上告人が,検察官による被上告人に対する公訴の提起は,有罪判決を得る合理的な根拠がないにもかかわらずされた違法なものであるとして,上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償を求める事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1)被上告人は,平成20年4月18日,大阪地方検察庁検察官により大阪地方裁判所に強制わいせつ致傷罪で起訴された(以下,当該検察官を「担当検察官」といい,当該起訴を「本件起訴」という。)。その公訴事実の要旨は,被上告人(当時43歳の男性)は,同年3月16日午前5時15分頃,大阪府高槻市内の路上において,通行中の女性(当時22歳)を認めるや,同女に強いてわいせつな行為をしようと企て,同女に対し,その背後から抱き付き,路上に押し倒し,仰向けになった同女に馬乗りになるなどの暴行を加えた上,着衣の上から同女の両乳房をもむなどし,もって,強いてわいせつな行為をし,その際,上記暴行により,同女に対し,加療約5日間を要する両膝関節擦過創等の傷害を負わせたというものであった。
(2)大阪地方裁判所は,平成21年2月17日,上記犯行(以下「本件犯行」という。)の被害者(以下,単に「被害者」という。)の犯人識別供述の信用性に疑問をいれる余地があるなどとして,上記公訴事実について無罪の判決を言い渡し,同判決は控訴されることなく確定した。
(3)本件犯行の捜査の概要及び本件起訴に至る経緯は,次のとおりである。
ア 平成20年3月16日午前5時15分頃,被害者は,面識のない男性から上記(1)の態様の強制わいせつ致傷の被害を受けた。被害者は,被害を受けた直後に警察に通報し,同月17日,警察署に被害届を提出し,同被害届において,「犯人は,年齢50歳くらい,身長170cmくらい,頭髪七三分け,痩せ型,上衣緑色Tシャツ,下衣裸の男である。」と申告した(なお,被上告人は,身長約172cm,体重約66kgであった。)。また,被害者は,同日,「暴行を受けた際,新聞配達の単車が近づいてくる音がして,犯人が逃走したが,同じ頃に犯人の逃走方向と同じ方向に新聞配達の単車が走っていった。」と供述した。
イ 警察官は,平成20年3月17日頃,本件犯行当時現場付近で新聞配達をしていた者(以下「目撃者」という。)から事情を聴取したところ,「女性の叫び声がして,男が自分を追い抜いて被上告人宅駐車場に逃げ込んだ。」との供述を得た。そこで,警察官は,同月18日,被上告人の運転免許証の顔写真を接写撮影して,これと似た他人の顔写真と併せて9枚の顔写真から成る写真台紙を作成し,また,同月21日,被上告人の全身の姿を写真撮影して,これと似た他人の全身写真と併せて9枚の全身写真から成る写真台紙を作成した。これらの被上告人の写真は,いずれも眼鏡を着用したものであった。
ウ 被害者は,平成20年3月21日,見てほしいものがあるとだけ言われて警察署に赴き,警察官から上記顔写真から成る写真台紙を示され,犯人と似ている人はいるかと尋ねられたところ,被上告人の写真を選定し,「目の大きさや顔のつくりがそっくりであり,髪型や毛の量が多くて柔らかいところが似ているが,犯人は,もう少し顔のつくりが細い感じで,眼鏡を着用していなかったように思う。」と供述した。被害者は,引き続き,警察官から上記全身写真から成る写真台紙を示されたところ,顔のつくりが似ていることや,体格,髪の量や髪型の雰囲気が同じであるとして,被上告人の写真を選定し,今思えば犯人が眼鏡を着用していたかどうかは覚えていない旨供述した(以下,上記の手続を「本件写真面割り」という。)。
 被害者は,平成20年3月31日,警察官から,「一応疑わしい人を連れて来ているから見てほしい。その人について逮捕状は出ている。」などと言われて,取調室の小窓から被上告人を見たところ,体つき,髪の量やふさふさした感じ,顔の痩せたところ,顔のつくり等から,犯人に間違いないと思い,この人が犯人であると警察官に話した(以下、上記の手続を「本件単独実面割り」という。)。
 被害者は,平成20年4月7日,担当検察官に対し,本件犯行の被害に遭う直前までに相当量の飲酒をしていたこと,犯人に後ろから抱き付かれて振り向いた時や,路上で仰向けにされて犯人に馬乗りになられた時等に犯人を目視したことを供述した。 
エ 目撃者は,平成20年3月25日,警察官に対し,「本件犯行当時,新聞配達のために単車を運転して現場付近に差し掛かったところ,女性の悲鳴のような声を聞いた。その直後に下半身裸の男が,走って私を追越し,被上告人宅駐車場内に駐車していた自動車の横に逃げ込んだ。その男は,身長約170cmの細身で,緑色のトレーナーに黒色のベストを着ていた。」と供述した。
 担当検察官は,平成20年4月2日の夜,被上告人宅駐車場を訪れた際,同駐車場に防犯用のセンサーライト(以下「本件ライト」という。)が設置されており,同駐車場内に人が入ると本件ライトが点灯することを認識した。そして,目撃者は,平成20年4月9日,担当検察官に対し,同年3月25日とほぼ同旨の供述をした上で,男が被上告人宅駐車場に逃げ込んだ際,本件ライトが点灯したことはなかった旨供述した。
 そこで,平成20年4月16日及び同月17日,被上告人宅駐車場の本件ライトの点灯状況,設置状況等の検証が目撃者等の立会いの下で行われた。その結果,目撃者が目撃した態様で被上告人宅駐車場に逃げ込むと本件ライトは点灯するが,同駐車場付近にある本件ライトの電源プラグを抜くことにより本件ライトを点灯しないようにすることが可能であることが確認された。
オ 被上告人は,捜査段階を通じて,本件犯行があった当時は自宅で寝ていたなどとして,自分が犯人であることを一貫して否認していた。また,捜査段階で測定された被上告人の裸眼視力は両眼とも0.08であり,被上告人は,普段は眼鏡を着用していると供述していた。
カ 担当検察官は,以上の捜査の結果等を踏まえ,被害者及び目撃者の供述は信用することができ,また,犯人が眼鏡を着用していなかったとしても,眼鏡が証拠物として遺留することを回避したいという心理が働き得ること,本件犯行は被上告人宅の近所において発生したものであること等に照らせば,近視である被上告人が眼鏡を着用せずに本件犯行に及ぶこともあり得るから,被上告人の犯人性は否定されないなどと判断して,本件起訴をした。
3 原審は,次のとおり判断して,被上告人の請求を一部認容した。
(1)本件写真面割り及び本件単独実面割りの結果を除く被害者の供述からは,被上告人が犯人であることを否定できないという限度の認定が可能であったにすぎない。そして,被害者は本件犯行の被害に遭う直前までに相当量の飲酒をしており,かつ,被害に遭った際に犯人を冷静に観察できる状況になかったと考えられることなど観察条件が良好でなかったこと,本件写真面割りの際に既に記憶の変容がされ,本件単独実面割りの際に誘導,暗示の作用が生じた可能性もあることを考慮すれば,本件写真面割り及び本件単独実面割りには,問題点が多くあり,被害者の供述によっては,被上告人を本件犯行の犯人とする合理的・客観的理由がなかったというべきである。
(2)担当検察官は,犯人が被上告人宅駐車場に逃げ込んだ際に本件ライトが点灯しなかった旨の目撃者の供述は信用することができ,本件ライトが点灯しなかった事実は,被上告人が事前に本件ライトの電源プラグを抜いていたことを強く推認させるものであるとして,被上告人が犯人であることの有力な根拠となると考えたものである。本件ライトが点灯しなかったとすれば,被上告人と犯人とを結び付ける証拠資料として担当検察官の上記推認の合理性を肯定するものではあるが,上記の目撃者の供述は,捜査の当初においては本件ライトが点灯したかどうかが問題点とされていなかったこと,平成20年4月16日に目撃者立会いの下で行われた検証においては,目撃者自身を犯人役にして被上告人宅駐車場に小走りで逃げ込ませて本件ライトが点灯したことを再現させるという目撃当時と異なる観察方法で検証が実施されたこと,目撃者が本件ライトの点灯の有無について供述をしたのは本件犯行当日から24日経過した後であることなどに照らし,信用し難いのみならず,当該供述を裏付ける客観的証拠に欠けるものであった。
(3)担当検察官は,被上告人が眼鏡を着用せずに本件犯行に及ぶこともあり得ると判断した。しかし,被上告人の裸眼視力は両眼とも0.08にすぎないことからすれば,眼鏡を着用していない被上告人が,被害者の供述するような態様で本件犯行に及び,単車を追い抜いて被上告人宅駐車場に逃げ込むことができるとは容易に考え難いから,担当検察官が,被上告人の視力の点を考慮せずに被上告人が犯人であると判断したことは,合理性を欠いている。
(4)以上によれば,本件起訴は違法である。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1)検察官による公訴の提起は,無罪の判決が確定したというだけで直ちに違法となるということはなく,その提起時において,検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により被告人を有罪と認めることができる嫌疑があれば,違法性を欠くものと解するのが相当である(最高裁昭和49年(オ)第419号同53年10月20日第二小法廷判決・民集32巻7号1367頁,最高裁昭和59年(オ)第103号平成元年6月29日第一小法廷判決・民集43巻6号664頁参照)。
(2)これを本件についてみると,以下のとおり,本件起訴時において,担当検察官が現に収集した証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により被上告人を有罪と認めることができる嫌疑があったというべきである。
ア 被害者は,被害に遭った直後から,犯人について被上告人と類似した年齢や身体的特徴を供述していた上,本件犯行から5日後に行われた本件写真面割りの際,9枚もの写真から成る2種類の写真台紙のいずれにおいても,その根拠を具体的に述べた上で,犯人に似ている者として被上告人の写真を選定し,その10日後に行われた本件単独実面割りの際にも,被上告人が犯人であると断定する旨の供述をしており,一貫して被上告人が犯人である旨の供述をしていたものである。
 被害者の上記供述のうち,犯人の年齢,身長,体格に関する部分については,その信用性を疑わせるような事情は存していなかった。一方,被害者の上記供述のうち,犯人の人相等に関する供述部分については,被害者は,本件犯行の被害に遭う直前までに相当量の飲酒をしていた上,被害に遭った際に犯人を冷静に観察できる状況になかったなど観察条件が必ずしも良好ではなかった面があり,また,本件写真面割り及び本件単独実面割りの際に記憶の変容ないし誘導,暗示の作用が生じた可能性は一般的には否定できない。しかし,被害者は,被害を受けた直後に自ら警察に通報し,捜査段階を通じて犯人識別の点を含めて被害状況を詳細かつ具体的に供述していたこと,被害者は複数回にわたって至近距離から犯人を目視したものであり,犯人の容貌等に関する被害者の供述が被害後比較的早い段階にされていること等に照らせば,被上告人が犯人であるとする被害者の供述部分に信用性が認められるとした担当検察官の判断が,合理性を欠くとまでいうことは困難である。
イ また,目撃者も,本件犯行の翌日頃には,犯人と思われる男が被上告人宅駐車場に逃げ込んだ旨供述しており,この供述の信用性を疑わせるような事情は存していなかった。加えて,目撃者は,男が被上告人宅駐車場に逃げ込んだ際,本件ライトが点灯したことはなかった旨供述していたところ,担当検察官は,この供述は信用することができ,本件ライトが点灯しなかった事実は被上告人が犯人であることの有力な根拠となると考えたものである。本件ライトに関する目撃者の上記供述は,本件犯行から24日後にされたものではあるが,捜査の当初において本件ライトの点灯の有無が問題点とされておらず,目撃者も被上告人宅駐車場に本件ライトが設置されていることをあらかじめ認識していたような事情がない以上は,目撃者の上記供述が捜査の当初にされていなかったとしても不自然ではない。また,目撃者は,本件犯行の日の翌日頃以降,複数回にわたって事情聴取を受け,目撃状況について記憶を喚起する機会を得ていた上,捜査段階における本件ライトの検証の方法等には特段の問題点もうかがわれないというべきであるから,本件犯行から僅か1箇月程度の短期間で本件ライトの点灯に関する目撃者の記憶が変容するとは考え難い。そうすると,本件ライトの点灯に関する目撃者の供述に信用性が認められ,本件ライトが点灯しなかった事実は被上告人が犯人であることの有力な根拠となるとした担当検察官の判断は,相応の合理性を有するというべきである。
ウ なお,被害者の供述によれば,本件犯行当時,犯人が眼鏡を着用していなかった可能性が高いところ,被上告人の裸眼視力が両眼とも0.08であった事実は,被上告人が犯人であることを疑わせる事情となり得るものといえる。しかし,担当検察官は,前記2(3)カのとおり,これによっても被上告人の犯人性は否定されないと判断したものであるところ,上記ア及びイのとおり,被害者の供述と目撃者の供述がいずれも被上告人が犯人であることを推認させるものであることも併せ考慮すれば,このような担当検察官の判断が,合理性を欠くものということはできない。
(3)したがって,本件起訴は,国家賠償法1条1項の適用上違法性を欠くものというべきである。
5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中,上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,被上告人の請求は理由がなく,これを棄却した第1審判決は正当であるから,被上告人の控訴を棄却することとする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 金築誠志 裁判官 櫻井龍子 裁判官 横田尤孝 裁判官 白木勇 裁判官 山浦善樹