最高裁判所第一小法廷平成25年(受)第1344号 平成27年3月5日判決

       主   文

1 原判決中,1046万9000円及びこれに対する平成21年2月14日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を命じた部分を破棄し,同部分に関する被上告人の請求を棄却する。
2 第1審判決中,不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求のうち,前項の部分に関する請求と選択的併合の関係にある部分についての被上告人の控訴を棄却する。
3 上告人のその余の上告を棄却する。
4 訴訟の総費用は,これを4分し,その1を上告人の負担とし,その余を被上告人の負担とする。

       理   由

 上告代理人峰隆之,同西芳宏,同小山博章の上告受理申立て理由(ただし,排除されたものを除く。)について
1 本件は,上告人の従業員であった被上告人が,上告人から退職勧奨及び自宅待機命令を受けた後に解雇されたことから,上告人に対し,〔1〕上記解雇が違法,無効であると主張して,労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めるとともに,〔2〕上告人が違法な退職勧奨等をして被上告人に業績連動型の報酬であるインセンティブ・パフォーマンス・コンペンセイション・アワード(以下「IPC報酬」という。)を支給しなかったことが不法行為又は債務不履行を構成すると主張して,平成20年度及び同21年度分のIPC報酬相当額等の損害賠償を求め,また,〔3〕上記〔2〕のIPC報酬相当額の損害賠償請求と選択的に,労働契約に基づく賃金として上記各年度分のIPC報酬の支払を求める事案である。なお,上記〔3〕の請求(以下「IPC報酬請求」という。)のうち平成20年度分のIPC報酬に係るものは,原審において追加された。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。
(1)上告人は,スイス連邦に本拠を置いて世界各地で金融業務を行っているクレディ・スイス・グループに属する株式会社として日本法に基づいて設立され,金融商品取引業者の登録を受けている法人である。
 被上告人は,平成17年10月,上告人の関連会社に入社し,同18年4月,同社から上告人への営業譲渡に伴い,上告人との間に雇用関係を有するに至った(以下,被上告人と上告人との間の労働契約を「本件労働契約」という。)。
(2)被上告人の報酬は年俸制であり,本件労働契約において,被上告人は,上告人から,固定額の基本給を毎月支給されるのに加えて,上告人の裁量により年単位でIPC報酬の支給を受け得るものとされており,各事業年度におけるIPC報酬の支給の有無及び金額は,上告人の完全な裁量により定められる諸要素(上告人及びその関連会社又は被上告人の属する部門及び部署の業績及び収益性,被上告人個人の業績,行動及び貢献,上告人及びその関連会社の戦略的必要性等)に基づいて決定される旨などが定められていた。
(3)上告人は,被上告人に対し,平成19年2月に平成18年度分IPC報酬として1700万円を,平成20年2月に平成19年度分IPC報酬として5000万円をそれぞれ支給した。
(4)平成20年9月のいわゆるリーマンショックの後,上告人の業績は悪化し,被上告人の担当していた業務に係る取引において多額の損失が計上されたことから,上告人は,クレディ・スイス・グループ全体の方針に従い,当該業務から撤退することとし,当該業務を担当していた従業員に対し退職勧奨をすることとした。
(5)上告人は,平成20年12月11日,被上告人に対し退職勧奨を行うとともに,自宅待機を命じた上,同21年12月18日,同月末日限りで,被上告人を解雇する旨の意思表示をした。
 上告人は,被上告人に対し,平成22年1月分以降の基本給及び平成20年度分以降のIPC報酬を支払っておらず,上告人において被上告人につき同年度分以降のIPC報酬の支給及びその額等に係る決定はされていない。
3 原審は,上記2(5)の解雇が解雇権を濫用したものとして無効であるとした上で,上記事実関係等の下において,被上告人のIPC報酬請求につき,要旨次のとおり判断し,上記請求のうち上記解雇前の事業年度である平成20年度分のIPC報酬請求を一部認容すべきものとした。
 本件労働契約が存続している限り,上告人は,被上告人に対し,本件労働契約に基づく賃金の一部として,基本給に加え,被上告人の業績に応じた額のIPC報酬を支払う義務を負うというべきであるところ,上告人が被上告人に対してその業績に応じて支払うべき平成20年度分のIPC報酬の額は,被上告人の上司であった者が仮に推薦したとすれば具申したであろうとする米ドル建ての金額を換算した1046万9000円が相当である。
4 しかしながら,被上告人のIPC報酬請求に係る原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 前記事実関係等によれば,本件労働契約において,IPC報酬については,固定額が毎月支給される基本給とは別に,年単位で,会社及び従業員個人の業績等の諸要素を勘案して上告人の裁量により支給の有無及びその金額が決定されるものと解されるから,その具体的な請求権は,被上告人が当該契約においてその支給を受け得る資格を有していることから直ちに発生するものではなく,当該年度分の支給の実施及び具体的な支給額又は算定方法についての使用者の決定又は労使間の合意若しくは労使慣行があって初めて発生するものというべきである(最高裁平成17年(受)第2044号同19年12月18日第三小法廷判決・裁判集民事226号539頁参照)。しかるところ,上告人において被上告人につき平成20年度分のIPC報酬の支給の実施及び具体的な支給額又はその算定方法に係る決定はされておらず,また,これについての労使間の合意や労使慣行が存在したともうかがわれない。
 以上に鑑みると,被上告人の平成20年度分のIPC報酬については,その支給を求め得る具体的な請求権が発生しているとはいえないから,被上告人は上告人に対しこれを賃金の一部として請求することはできないというべきである。
5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決のうち被上告人の上告人に対するIPC報酬請求を一部認容した部分は破棄を免れない。そして,以上に説示したところによれば,被上告人の上告人に対するIPC報酬請求は理由がないからこれを棄却すべきである。
 また,上記のようなIPC報酬の性格や前記2(4)の事実経過等に照らすと,被上告人の上告人に対する不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求につき,原審が上記IPC報酬請求を一部認容した部分と選択的併合の関係にある部分を含めてこれを棄却した第1審の判断は是認することができるから,同部分についての被上告人の控訴を棄却すべきである。
 なお,その余の請求に関する上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 櫻井龍子 裁判官 金築誠志 裁判官 山浦善樹 裁判官 池上政幸
裁判官白木勇は,退官につき署名押印することができない。
裁判長裁判官 櫻井龍子