窃盗被告事件 最高裁判所第二小法廷平成27年(あ)第63号 平成29年3月10日判決

       主   文

原判決及び第1審判決を破棄する。
被告人は無罪。

       理   由

 弁護人久保豊年の上告趣意は,憲法違反,判例違反をいう点を含め,実質は事実誤認,単なる法令違反の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 しかしながら,所論に鑑み,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条3号により破棄を免れない。その理由は,次のとおりである。
第1 本件公訴事実並びに第1審判決及び原判決の各判断
1 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成24年9月24日午前9時22分頃,広島銀行○○支店(以下「本件支店」という。)において,客の女性Aが同店内の記帳台の上に置いていた現金6万6600円及び振込用紙2枚在中の封筒1通を窃取した」というものである。
2 第1審判決は,(1)本件前日の夜,手持ちの封筒(以下「本件封筒」という。)の中に振込用紙2枚とともに現金6万6600円を入れたとするB(Aの母親)の証言,及び,本件当日の朝,出掛ける前に,本件封筒の中に現金が入っていることを確認したとするAの証言の各信用性を肯定して,Aが本件封筒を記帳台上に置き忘れた時点でその中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,(2)本件支店に設置された防犯カメラの映像によれば,Aが本件封筒を置き忘れてから,本件支店の行員が記帳台上に置き忘れられた本件封筒(現金の在中していないもの)を発見するまでの間に,本件封筒から現金を抜き取ることが可能であったのは,Aと同じ記帳台を利用した被告人しかいないとして,公訴事実どおりの犯罪事実を認定し,被告人を懲役1年,3年間執行猶予に処した。
3 被告人からの控訴に対し,原判決は,第1審判決の認定を是認して,控訴を棄却した。
第2 当裁判所の判断
1 原判決の認定及び関係証拠によれば,次の事実が明らかである。
(1)本件支店は,比較的小規模な店舗であり,A及び被告人が利用した記帳台(以下「本件記帳台」という。)は,行員の常駐するカウンターの目の前にある。また,本件記帳台の後方(カウンターの反対側)には来店客用の長椅子が設置されていた。さらに,本件支店内には複数の防犯カメラ(店内の様子を毎秒1コマ単位で記録するもの)が設置されており,店内における顧客等の動静は,いずれかのカメラによりほとんど漏れなく記録される仕組みとなっていた。
(2)Aは,本件当日午前9時17分頃本件支店に来店し,本件記帳台で作業した後,午前9時20分頃本件記帳台を離れたが,その際,本件封筒を本件記帳台上に置き忘れた。
(3)被告人は,Aが本件記帳台を離れた直後頃本件支店に来店し,午前9時22分頃まで本件記帳台で作業した後,本件記帳台を離れ,発券機で番号票を取り,ATMコーナーで通帳に記帳し,カウンターで行員に預金の払戻手続を依頼するなどした後,午前9時24分頃本件記帳台付近に戻り,10秒間ほど,右手を本件記帳台の上に置いた状態でその側に立っていた。その後,被告人は本件記帳台を離れ,午前9時31分頃預金の払戻しを受けて本件支店を退店するまでの間,本件記帳台に近づくことはなかった。その当時,本件支店内には,相当数の行員と来店客がおり,来店客の中には,本件記帳台の後方に設置された長椅子に座っていた者もいた。また,被告人は,この間に2名の知人に出会い,会話を交わしている。
(4)被告人の退店後,本件支店の行員が,本件記帳台上に置かれた本件封筒を発見したが,その時点で,本件封筒内には,三つ折りにされた振込用紙2枚のみが在中しており,現金は在中していなかった。この間,本件記帳台を利用したのは,Aと被告人の2名だけであった。
2 原判決及び第1審判決を是認できない理由
(1)前記のとおり,第1審判決は,A及びBの各証言に基づき,Aが本件記帳台上に本件封筒を置き忘れた時点で本件封筒の中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,これをいわば動かし難い前提として,被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人を有罪と判断したものであり,原判決は,その判断を是認したものである。
(2)Aが本件封筒を置き忘れた時点で現金が在中していたことを前提とすれば,防犯カメラの記録上,本件支店の行員以外に本件封筒に触れることのできた人物は,被告人しかいないから,必然的に被告人が窃盗に及んだと認定されることになる。しかしながら,本件封筒内に現金が在中していたとの前提をひとまずおいて,他の証拠から被告人が本件封筒を窃取したと認定できるかどうかについてみると,本件では,そのような認定をちゅうちょせざるを得ない次のような事情が存在する。
ア 本件支店内の被告人の様子は,防犯カメラによってほとんど漏れなく記録されている。被告人が1回目に本件記帳台を離れる際,本件記帳台の上面から何かを取り上げたように見えるものの,それが記入済みの払戻請求書や預金通帳ではなく,本件封筒であるとは確認できない(なお,取り上げた物が何であるかに関する被告人の供述には変遷があるが,いずれも記憶に基づく供述というよりは,防犯カメラの映像上何かを取り上げたように見えることについての弁明というべきところ,そのような弁明に変遷があるからといって,取上げた物が本件封筒であるとの推認が可能になるわけではないし,直ちに被告人の供述全般の信用性が損なわれるわけでもない。)。また,被告人が本件封筒を持ち歩いている場面や,その中から内容物を取り出す場面も確認できない(被告人がズボンの右ポケットに手を入れたり,シャツの左胸付近に何かを接触させたりする場面は確認できるものの,それが,本件封筒やその内容物をポケット等に出し入れする動作であるとは確認できない。)。そして,被告人が,本件記帳台に本件封筒を戻す場面も確認できない。
イ 本件封筒には,三つ折りの振込用紙2枚が在中していたところ,これを残して現金(Bの証言を前提とすれば紙幣12枚と硬貨2枚)のみを抜き取るには,複数の動作が必要であり,相応の時間を要すると考えられる。本件支店内に設置された防犯カメラは,毎秒1コマを記録する目の粗いものであり,かつ,被告人がATM機の前に立っている時間帯については,背後からの映像しかないものの,被告人がそのような動作をしているように見える場面は存在しない(原判決は,被告人がロビーとATMコーナーを往復する際の動作の一部や,ATM機を操作している際の被告人の手元等が防犯カメラの死角となっていることを指摘して,被告人には本件封筒から現金を抜き取り,これをポケット等に隠す機会があったと認められる旨説示するが,被告人がそのような動作をしているとみられる場面を具体的に指摘するものではない。なお,被告人が,本件支店内の防犯カメラの設置位置や死角を熟知していたと認めるべき事情はうかがわれないのであるから,たまたま防犯カメラの死角となる位置で現金を抜き取るなどした可能性を否定することはできないにしても,その可能性が高いなどとはいえない。)。
ウ そもそも,銀行に防犯カメラが設置されていることは公知の事実である上,行員や来店客の視線も意識せざるを得ない状況の中,本件封筒を窃取した者がいるとしても,わざわざその店舗内で本件封筒から現金を抜き取り,封筒だけを本件記帳台に戻すような行為をするとは考えにくい。被告人は,本件記帳台を離れてから預金の払戻しを受けて退店するまで,10分近く本件支店に滞在しており,そのような危険を冒すとは一層考えにくい。
(3)以上は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に強く働く客観的事情ということができる。このような事情が認められる以上,Aが本件封筒を置き忘れた時点で現金が在中していたとの前提を確実なものと考えてよいかどうかについて,特に慎重な検討を要するというべきである。本件では,A及びBの各証言の信用性評価が問題となり得るところ,以下のとおり,この点に関する第1審判決及び原判決の説示はいずれも説得的なものとはいえない。
ア 第1審判決は,Aの証言が一貫しており,迫真性があることや,AはBの指示により市県民税の納入を行うつもりで本件支店に赴いており,本件封筒の中に現金が在中していないのに,その事実に気付かず,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難いことなどを指摘して,Aの証言の信用性を肯定し,そうすると,本件封筒に現金を入れた旨のBの証言も十分に信用できると判断した。原判決は,以上に加えて,本件封筒に市県民税2か月分合計6万6600円分の振込用紙2枚が在中していたことや,本件封筒の表面に「66,600- 〔10〕〔11〕月分」と記載されていたことを指摘し,これらの事実は本件封筒に現金6万6600円を入れたとするBの証言と整合し,その信用性を高めるものであること,本件封筒に三つ折りの振込用紙2枚に加えて,紙幣12枚と硬貨2枚が入れられていた場合には,相応の重量及び厚みになるから,Bが本件封筒に現金を入れるのを忘れるなどしていたとしても,Aがそれに気付かないまま,本件封筒に必要な現金が入っていると思い込み,これを本件支店まで持参したとは考えにくいことを指摘して,第1審判決の判断を支持した。
イ 現金が在中しているのを確認したとの点に関するAの証言の要旨は,「本件当日の朝,処理を要する通帳等を入れていた専用のケースの中から本件封筒を取り出し,通帳や固定資産税の冊子とともに輪ゴムでくくり,巾着袋に入れた上,かばんに入れて銀行に持参した。本件封筒の表には6万6600円と書かれており,中をのぞいたところ,1万円札が数枚と,千円札と,あと硬貨が入っているのが分かった。封筒の感触からもお金が入っていることが分かった。」というものであり,本件封筒から現金を取り出して数えたというものではない上,Aは,Bの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていたというのであるから,仮に本件当日の記憶がなくても,上記のような証言をすることは容易といえる。したがって,上記のようなAの証言について,迫真性があるとしてその信用性を高く評価することは相当ではない。
ウ また,本件当日,Aが市県民税を納入する用務だけのために本件封筒のみを持ち出して外出したというのであれば,確かに現金の入っていない封筒を持参したとは考え難いし,現金が入っていないならば気付くはずであるとも考えやすい。しかし,本件では,Aは,本件支店において,市県民税を納入する用務の他に,預金を払い戻した上で固定資産税を納入する用務を予定しており,本件封筒の他に通帳や固定資産税の冊子を束ねて持参している上,預金の払戻しと固定資産税の納入については予定どおり実行する一方で,本件封筒については本件記帳台上に置き忘れ,市県民税を納入しないまま本件支店を退店し,Bからの連絡を受けて初めて本件封筒を本件支店に置き忘れたことに気付いたというのである。そうすると,市県民税等の納入を行うつもりで本件支店に赴いているのであり,かつ,現金が入れられていれば相応の重量と厚みになるのであるから,現金の在中していない,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難い,との評価も相当とはいえない。また,原判決の認定によれば,Aは,通帳及び固定資産税の冊子と一緒にされた束の中から,相応な重量と厚みのある本件封筒だけを本件記帳台に置き忘れたことになる。その可能性の方が,現金の入れられていない封筒を持参した可能性よりも高い,などとはいえないであろう。
エ Bは,本件封筒に現金6万6600円を入れたことは間違いない旨証言するものの,入れた金種と枚数について,「いつもそうしているので,1万円札と千円札が各6枚,500円硬貨と100円硬貨が1枚であったと思う」旨述べていることから明らかなとおり,日常的にそうしているから,本件前日の夜も同じようにしたに違いないと考えて証言をしている可能性もある。また,本件封筒に入れたとする現金の出所については,個人で自由に使えるお金の中から出したと述べるのみで,それ以上に具体的な証言をしておらず,何らの裏付け立証もされていない。本件封筒に在中していた振込用紙2枚の合計金額が6万6600円であり,本件封筒の表面に「66,600- 〔10〕〔11〕月分」等と記載されている点も,6万6600円を入れようとしたことの裏付けになるとはいえても,実際に入れたことの裏付けになるわけではない。
オ 複数名の証言が一致していることは,通常,各証言の信用性を高め合うものといえるが,A,Bの関係性,とりわけAがBの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていたことや,AとBが,本件封筒に現金は在中していなかった旨行員から知らされた直後に,現金を入れたかどうかを確認する会話をしていること等に照らすと,本件においては,A,Bの証言が一致していることを過度に重視することは相当でない。A,Bにおいては,上記の会話やその後のやり取りを通じ,他日の記憶と混同するなどして,事実と異なる記憶が定着してしまった可能性も否定できないというべきである。
(4)以上のとおり,A及びBの各証言の信用性評価に関する第1審判決及び原判決の説示はいずれも説得的なものとはいえず,その他に各証言の信用性を高める方向に働く事情も見当たらない。要するに,A及びBの各証言は高い信用性を有するとまではいえないのであって,そのような証拠に依拠して,Aが本件記帳台上に本件封筒を置き忘れた時点で本件封筒の中に現金6万6600円が在中していたとの事実を認定し,これを動かし難い前提として,被告人以外には現金を抜き取る機会のあった者がいなかったことを理由に被告人を有罪と判断した第1審判決及びこれを是認した原判決の判断は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に強く働く客観的事情を無視あるいは不当に軽視した点において,論理則,経験則等に照らして不合理なものといわざるを得ない。被告人が本件公訴事実記載の窃盗に及んだと断定するには,なお合理的な疑いが残るというべきである。
3 結論
 そうすると,被告人に窃盗罪の成立を認めた第1審判決及びこれを是認した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり,これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。
 そして,既に検察官による立証は尽くされているので,当審で自判するのが相当であるところ,前記のとおり,本件公訴事実については犯罪の証明が十分でないから,被告人に無罪の言渡しをすべきである。
 よって,刑訴法411条3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,404条,336条により,裁判官小貫芳信の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

 裁判官小貫芳信の反対意見は,次のとおりである。

 私は,被告人を有罪とした第1審判決及びこれを是認した原判決の事実認定は,論理則,経験則等に照らし不合理とは認められないので,本件上告はこれを棄却すべきであると考える。以下,その理由を述べる。
1 本件事案の概要及び本件の証拠構造
 本件は,Aと共に不動産賃貸管理業を営むAの母Bが,従業員らの市県民税の納入のため自宅で本件封筒に現金を入れ,翌日,その納入をAに依頼し同封筒を託したが,Aが本件支店の本件記帳台にこれを置き忘れ,その連絡を受けて,同支店に戻って確認したところ,本件封筒は銀行の窓口係に届けられていたものの,同封筒内に現金が入っていなかったことから,窃盗事件として捜査が開始され,被告人がその犯人として起訴されたというものである。
 本件支店のロビーには,防犯カメラが設置されており,これによると,Aが本件記帳台に本件封筒等を置いて作業を終え,そこから離れた後,本件記帳台において何らかの行為をしたのは,被告人と本件記帳台上に本件封筒が置かれているのを発見して窓口係の職員に届けた警備員の2人だけであり,警備員が本件封筒を発見してから再びAの手に戻るまでの間に,本件封筒に触れたのは同警備員と窓口係の職員を含む本件支店の職員である。
 本件においては,本件封筒が本件記帳台上に置かれ,Aが本件記帳台から離れた時点で,本件封筒内に現金が入っていたと認められれば,現金を抜き取った可能性のあるのは,現金が入っていなかったことが確認されるまでの間に本件封筒を手にすることができた者ということになる。したがって,本件公訴事実が認定できるかどうかは,〔1〕本件封筒に現金が入っていたことが認められるか,〔2〕被告人以外の者,つまり警備員と窓口係の職員を含む本件支店職員について現金抜き取り窃取の可能性を否定できるか,〔3〕被告人に現金抜き取り窃取の可能性があり,かつ,窃取行為を疑わせる行為があったと認められるかの諸点にかかっている。〔2〕が否定され,〔1〕と〔3〕とが肯定されるならば,本件公訴事実は認定されることとなる。このうち〔2〕は,本件で争点とされていない上,警備員及び窓口係員は本件封筒内に現金は入っていなかった旨証言し,両名の手元は終始防犯カメラで撮影されているが現金抜き取りを疑わせる所為は認められず,〔2〕の可能性は否定できるので,以下,〔1〕に関しA,Bの証言の信用性を,〔3〕に関し被告人の窃取の可能性等を順次検討することとしたい。
2 B及びAの証言の信用性
(1)Bの証言内容
 市県民税については従来からBと従業員の合計3名分をBの個人資金で支払うこととしており,今回も本件前日,市県民税納入書等とともに3名分として,1万円札6枚,千円札6枚及び500円硬貨,100円硬貨各1枚を封筒に入れ,これを本件当日の金融機関回りに必要な通帳等とともに専用のケースに保管し,翌日,金融機関回りをするAに納入を依頼し,これを託した。
(2)Aの証言内容
 Aは,本件当日,固定資産税の納入,自宅改装費の現金引き出し等の用務のため3か所の金融機関を回る予定であったところ,同日の朝,Bから市県民税の振込みを依頼され,上記ケースから通帳及び本件封筒などを取り出し,同封筒内に現金が入っているのを確認し,これらを輪ゴムでくくって巾着袋に入れてかばんに収め,金融機関回りのため自宅を出た。まず,本件支店を訪れ,本件記帳台の上に通帳等とともに本件封筒を出し,現金引き出しのための書類作成などの作業をしているうち,本件封筒を本件記帳台の上に置き忘れてそこを離れ,窓口で現金を引き出し,固定資産税の納入をしただけで,市県民税の納入を失念したまま本件支店を出て,他の銀行に回った。Bからの電話で本件封筒を置き忘れたことを知った。
(3)A及びBの証言の一般的評価
 本件封筒内の現金については,Bは本件封筒に入れたと証言し,Aは本件封筒内に現金が入っていることを確認したと証言し,それぞれの証言が支え合う関係にある。また,証言を求められている体験事実は,単純なものであり,複雑な記憶を要するものではない。そして,被害当日に捜査が開始され,A及びBが供述を求められたのは,前日又は当日の出来事であって,記憶の薄れを危惧する必要のない時期のものである。さらに,両名には,虚偽供述をする動機は全く認められない。なお,Bは本件封筒に現金を入れ,Aは本件封筒の現金を確認したというそれぞれの事実を,2人ともそろって思い違いをしたというのは,後述するように,本件の事実関係の下では,抽象的な可能性にとどまり,あまりにも偶然が重なりあった希有の事態であって,その可能性は低いものというべきであり,したがって,原審の事実認定の審査の根拠の1つとするのは相当でないであろう。
 以上のような本件事情に照らせば,A,B両名の証言には高い信用性が認められ,それを是認した原審の判断は正当というべきである。
(4)多数意見に対する反論
 多数意見は,A,B両名の証言の信用性について,次のように指摘して,信用性を肯定した第1審及び原審の判断を誤りであるとするが,信用性を否定する理由とはなり得ないものであるか,的を射ていないものと考える。
ア Aの証言について,「Bから日常的に振込みを依頼されていたので,仮に記憶がなくても,上記のような証言をすることは容易といえる」から,Aの証言を迫真性があるとの評価は当たらない,とする。
 多数意見の指摘するところが,第1審の「迫真性」という表現を批判するにとどまるのか,Aの記憶の存在に疑義を挟むものであるのか必ずしも判然としないが,前者の表現の問題とするものであればAの証言の信用性を左右する指摘とはいえないし,仮に後者であれば次のようにいえよう。捜査が開始されAに供述が求められたのは本件当日のことであり、この供述が証言時まで維持されたとみるのが相当であるところ,当日朝の出来事であることからすると,記憶の薄れを危惧する必要は少ないし,体験事実であるから詳細な供述となっているとの評価も可能である。証言に作為がうかがわれる等の事実があれば別論であるが,本件では,「AがBの指示で日常的に銀行振込み等の用務を行っていた」ことだけを理由に,記憶の存在を疑わしいとするのは,妥当とは思われない。
イ 多数意見は,Aが市県民税の納入以外の用務も予定しており,本件封筒の他に通帳や固定資産税の冊子を束ねて持参していることを根拠に,「市県民税等の納入を行うつもりで本件支店に赴いているのであり,かつ,現金が入れられていれば相応の重量と厚みになるのであるから,現金の在中していない,振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難い,との評価も相当とはいえない」とする。 
 しかしながら,納入を依頼されて現金を託された際は,現金在中の有無を確認するのが通常であろうし,本件では,Aが銀行に行く前に少なくとも本件封筒を手に取ったことは明らかであるところ,本件封筒に市県民税納入用紙のほか,紙幣12枚,硬貨2枚が在中していたとすれば,現金在中の有無によって封筒の厚み,重さに格段の差(在中していた場合32.54グラム,在中していない場合8.5グラム)があり,外観及び感触によって識別が容易であった事情が認められることからすると,「振込用紙だけが入った封筒を持参したとは考え難い」とした原判決の判示は相当である。また,多数意見が置き忘れた事実から直ちにAが封筒に現金が入っていたことを確認したとの事実も疑わしいとするのであれば,時点と内容を異にする事項を脈絡を示さないまま結び付けるもので,論理の飛躍があるように思われる。Aが本件支店で他の用件を果たしているうちに,振込みを失念してしまうことは異例なことではないであろう。
ウ 多数意見は,Bの証言のうち,本件封筒に入れた金種と枚数について,「いつもそうしているので,1万円札と千円札が各6枚,500円硬貨と100円硬貨が1枚であったと思う」旨述べていることを根拠に,日常的にそうしているから,本件前日の夜も同じようにしたに違いないと考えて証言している可能性もあるとする。
 しかしながら,Bは,現金を入れた状況について,1万円札は手持ち現金を保管している封筒から,千円札と硬貨は財布から出したと具体的に証言しており,またBの証言を通覧してみれば,Bが自己の記憶として証言していることは明らかである。多数意見のように証言の一部のみを強調するのは相当でないであろう。
エ 多数意見は,現金の出所について,Bは,「個人で自由に使えるお金の中から出したと述べるのみで,それ以上に具体的な証言をしておらず,何らの裏付け立証もされていない」と指摘し,さらに,封筒表面に「66,600- 〔10〕〔11〕月分」と記載されている点も,実際に封筒に入れたことの裏付けになるものではないとする。
 まず,現金の出所についてみると,Bは本件現金は保管金の中から支出した旨証言しているところ,Bは自らも個人で賃貸物件を所有して不動産賃貸管理業を営む者で,6万6600円程度の現金を所持していたとしても不自然とはいえず,他に原資の存在に疑いを挟む事情はなく,また,多数意見が裏付けを欠いていると指摘する点については,本件現金の原資が手持資金である以上,裏付けといっても銀行口座の動きなどから資金の流れを裏付けることは困難であるから,結局はBの証言の信用性を認めるに足りる客観的状況があるかどうかにかかっていることとなり,前述したとおり,その信用性は優に認められるところである。
 また,多数意見が具体的な証言をしていないというのは,Bが,現金の保管場所についての証言にためらいを見せていることを理由とするものであろう。しかし,この点については,Bが法廷慣れしていない市井の人であることからすると,原判決が判示するように,「公判廷で自分の財産の保管場所などが明らかになるのがためらわれたからである」と認めるのが相当である。実際この点についての法廷でのやり取りをみると,Bは,自分が自由にできる金銭50万円くらいは別の封筒で保管している旨を述べた後,「Aらは知りません,どこにあるかは」と証言し,更に保管場所を追及されると,「それを言わなきゃいけませんか」と逡巡しており,このやり取りは,Bの心情を彷彿とさせるものがあり,原判決の認定に沿うものといえよう。
 封筒外面の記載については,原判決も現金を入れたことの直接の裏付けだとしているわけではなく,「Bが,現金6万6600円を入れようとしたことは明らかであり」と慎重に評価しているところであり,この点についての多数意見は原判決に対する批判としては当たっていない。さらに,本件封筒の外面には上下2か所に「66,600」の数字が記載されているが,このことに関し,Bは「入れた,だから,確かめてそれだけ入ってますよと書いております。そして,通帳などと一緒にしますので,こうやった場合に,よく分かるようにまたもう一度書いております」と証言しているところ,「66,600」の記載の1つは封筒上部の通帳を封筒に重ねたときにも見える部位に位置しており,証言が客観的記載に裏付けられているとみることができ,封筒2か所への記載事実は,証言の信用性を高める事項と評価できる。
オ 多数意見は,AとBの証言が一致していることについて,A,Bの「関係性」と銀行員から知らされた後にAがBに現金在中の有無を確認した事実を根拠として,過度に重視することは相当でないとする。
 前者については,口裏合わせの形跡があるとか,供述内容に照らし不自然な一致があるとかの事情があれば別論であるが,多数意見は,そのような証言の信用性を減殺するような具体的な事情を指摘するものではなく,また本件においてはそのような事情は認められず,被害発覚直後から捜査が開始されていて供述合わせの機会もなかったのであるから,母娘の関係だけから信用性を測るのは相当ではないであろう。
 後者については,応対をした窓口職員の証言によると,Aは,「入っていたはずなんだけど,確認します」という感じであったというのであり,封筒に現金が入っていたことに自信がなかったことを示す状況は,何ら認められない。また,Aの電話確認の行動は,これからものごとを大きくするに先立って慎重を期すため,念のため母親に確認した常識的な行動とみることができるのであり,この行動をもって封筒への現金在中について自信のなさを示すものと解するのは相当ではない。
カ 多数意見は,種々ABの証言のマイナス面を強調するが,可能性を指摘するにとどまっているか,証拠評価に問題がある上,証人尋問にも立ち会っていない法律審が第1,2審と異なる結論を採る上で必要とされる具体的な指摘にはなっていないように思われる。
3 被告人の行動及びその供述の評価
(1)原判決が認定した事実及び関係証拠によると,被告人の行動は以下のとおりである。
ア 被告人は,Aが本件記帳台を離れた数分後,本件記帳台に現れ,本件記帳台上で何らかの作業を行い,本件記帳台上から顔を上げ,一旦左方向に身体を向け同所から離れようとしたが,やおら本件記帳台上を振り返り,次いで顔を左右に動かし辺りを見回し,Aが作業をしていた方向に右手を伸ばして,白色の物体をつかみ,持ち去った。白色の物体は,本件封筒とみても矛盾はない。続いて,被告人は,発券機で番号札を取り,ATMコーナーに至ったが,被告人がATMコーナーに立った際には,防犯カメラには被告人の背面だけが写され,手元は死角となっている。その後,被告人は,窓口カウンターを経て,雑誌コーナーに立ち寄り,再び,本件記帳台に戻ったが,被告人が手にしていた白色の物体は,ATMコーナーを離れる時点では手にしていない。本件記帳台に戻った被告人は,顔を左右に動かし辺りを見回しながら,右手を警備員が本件封筒を発見した付近に置き,その後本件記帳台を離れ,ロビー内の長椅子に座った。
イ 発券機で番号札を取った後の被告人の行動を更に詳細に見てみると,被告人は,発券機の前で十数秒間立ち止まり,周囲の様子をうかがった上で,右手をズボンのポケットに入れるような仕草や左手に持った物を右手の方に傾ける仕草をするなどし,ATMコーナーに向かって歩きながら,左手に持っていた物を右手に持ち替えた上で,左手につかんだ何らかの物体を着ていた半袖シャツの左胸付近に接触させた。
 被告人が上記発券機の前にいるときの手元の動きは,白い物体に隠れるなどしている部分があり,被告人がロビーとATMコーナーを往復する際の動作もすべては防犯カメラに写っておらず,ATM機を操作している場面の被告人の手元も,約10秒程度防犯カメラの死角となっている。さらに,被告人は,窓口で払戻請求書等を提出した後は,右手をズボンのポケットに入れた状態で,本件記帳台の奥にある雑誌コーナーに行き,その後,右手をズボンのポケットから出して雑誌を見るなどした後,同コーナーから本件記帳台に向かい,その途中,右手を左胸付近にもっていった後,本件記帳台の前に立ち止まって,その右手を本件記帳台の上に十数秒間置いていた。
(2)被告人の行動に対する原判決の判示
 被告人の前記行動について原判決は次のように評価しており,その評価は是認できるところである。特に原判決は,単に被告人に窃取の機会があったことを指摘するにとどまらず,後記イのように被告人の行動を子細に検討して,被告人が封筒の持ち去りとこれを再び記帳台に置いたことを推認しており,本件においてはこのことを重視すべきである。
ア Aは,現金等在中の本件封筒を本件記帳台の上に置き忘れたところ,警備員が本件記帳台の上に本件封筒を発見した際には,現金が入っていなかったことからすると,何者かが本件封筒の中から現金6万6600円を抜き取り,窃取したものと認められるが,Aが本件封筒を置き忘れてから,警備員が本件封筒を発見するまでの間,本件記帳台の上面に触れた人物は被告人以外に存在しないことから,被告人が本件封筒に触れて,これを窃取したことが推認できる。
イ 被告人が本件記帳台の上でつかんだ白色様の物体が置かれていた位置が,Aが本件封筒を置き忘れる前に作業していた位置付近であることは,被告人が本件記帳台の上から本件封筒を持ち去ったことの裏付けになる。また,被告人が,再び本件記帳台に戻り,本件記帳台の上に置いていた右手の位置が,警備員が本件封筒を発見した位置とほぼ同じであることは,被告人が本件封筒を本件記帳台の上に戻したことの裏付けになる。したがって,以上の各事実は,被告人が本件封筒を窃取したとの前記アの推認を更に強める。
ウ 防犯カメラに撮影されている被告人の諸行動によると,被告人が本件封筒を取ってから本件記帳台の上に戻すまでの間,特に,本件封筒を取ってからロビーの窓口に至るまでの間に,本件封筒内から在中物(現金)を抜き取り,これらをポケット等に隠す機会があったことが十分認められ,さらに,ポケット等に隠した在中物(現金)を取り出した後の本件封筒を,本件記帳台の上に戻す機会も十分にあったと認められる。
(3)多数意見に対する反論
 多数意見は,被告人が本件封筒を窃取したとの認定を妨げる方向に働く客観的事情として,以下の点を指摘するので,それぞれ検討を加えることとする。
ア 「被告人が1回目に本件記帳台を離れる際,本件記帳台の上面から何かを取上げたように見えるものの,それが本件封筒であるとは確認できない」という。
 確認できないのはそのとおりであり,原判決も確認できるとは判示していない。仮に,確認できるのであれば,そのことのみによって本件公訴事実の立証は十分であって,原判決が子細に行ったような間接事実の積み重ねによる認定は不要となろう。したがって,確認できないことを強調しても,原審に対する的確な批判とはいえず,このことは,下記イも同様である。むしろ,この事実において注目すべきことは,被告人が手にした物体が色彩や形状から本件封筒とみても矛盾はないことであり,特段の事情がないかぎり,これを被告人に犯人性を推認する間接事実の1つとすることは正当である。
イ 多数意見は,「被告人が,その何かから内容物を取り出す場面や,本件記帳台に本件封筒を戻す場面は確認できない」,「防犯カメラの映像上,抜き取り行為,抜き取り動作をうかがわせるものはない」旨判示する。
 いずれもほぼそのとおりであるが,原判決もまた当然それらのことを前提として,間接事実を積み重ねて本件事実の認定をしているのであるから,原判決の事実認定を審査するに当たっては,原判決がそれらの前提に反する認定をしているのであれば格別,そうでなければ,それらの事実を強調するだけでは的確な事実認定審査とはいえないであろう。
ウ 多数意見は,窃取行為はともかくとして,「封筒だけを本件記帳台に戻すような行為をするとは考えにくい」という。
 しかし,犯罪者心理の一般論の是非はしばらくおくとしても,本件の事実関係に即して検討してみると,本件では,警備員が本件封筒を発見した際,本件封筒が記帳台の上に置かれていたことは明白な事実であり,しかも警備員の証言によると,本件封筒の口は開いており,領収書様のものが本件封筒の口から一,二センチメートルはみ出していたというのであり,これらの事実は記帳台に置かれる前に本件封筒に対し何人かによって何らかの作為が加えられた可能性を示すものと解することができるところである。このような本件の事実関係に照らせば,本件については,そのように一般論で片付けるのは相当でないであろう。
 また,多数意見は防犯カメラの人の行動に対する抑制力を立論の前提としていると思われるが,スーパーマーケットやコンビニエンスストアーなど防犯カメラが備えられた店舗において万引き事犯が多く発生していることは公知の事実であり,多数意見が前提とするような一般論が成り立つのか疑問がある。また,本件記帳台に封筒を再度置く行為について検討してみると,本件では,中身を知らないまま封筒を手に取り,封筒内に現金が在中していることに気付いて現金を抜き取ってしまったという偶発的経過をたどった可能性が高く,手元に残った本件封筒をどう処置するかの段になって,目立つ行為をとらずにできるだけ自然な振る舞いの中で問題の封筒を手から離したいと考えることも人の心理としてあり得るところであるから,犯人ならば再度置くことは「考えにくい」とはいえないと思われる。
エ 以上のとおり,多数意見の指摘するところは,原判決も当然前提としている事柄を指摘するにとどまり,原判決に対する的確な批判とはいえず,また反論の余地のある指摘であって,原判決に対する具体的,効果的な批判にはなっていないように思われる。特に,原判決が被告人の犯行を推認する事実として判示する前記(2)の事情については,防犯カメラの映像上確認できないと一蹴しているにすぎず,それ以上に十分な指摘がないと思われる。
(4)そこで,以下,〔1〕被告人が本件記帳台を離れるに際し,本件記帳台の方向を振り返り,右手を伸ばして何かをつかんで持ち去ったこと,〔2〕本件記帳台に再び戻り,封筒が発見された方向に右手を伸ばしたことについて,被告人の供述を含めて検討することとする。
 これらの被告人の行動は,被告人が本件封筒に接触した可能性を示す特異な行動として注目されるところであり,また〔1〕と〔2〕を併せると,被告人が封筒を持ち去り,再び本件記帳台の上に置いたことの推認力を増すと考えられるが,このことに関し,被告人は以下のように述べている。
 本件記帳台から離れる際に右手を封筒があった方向に伸ばしたこと等については,捜査段階では,防犯カメラの映像を見た結果の弁明として,本件記帳台の上に忘れ物の書類を見付けて手に取った,届けるために顔見知りの行員を探したが,いなかったので,書類を本件記帳台の上に戻した旨供述していた。しかし,公判廷に至ると,払戻請求書を書き損じて置いていたのを回収した旨述べて,弁明内容を変遷させた。したがって,被告人の供述は,信用性を欠き,被告人は自らの行動の不審さについて何ら合理的な説明をなし得ていないのであって,原判決が前記(2)のとおり,被告人の窃取行為を推認する1つの事情として判示するところは相当といえよう。
 再び本件記帳台に戻ったことについては,被告人は「長椅子には人が座っており,話しかけられると面倒なので,本件記帳台のところに立ち,ただ突っ立っているのも手持ち無沙汰なので、ちょうど本件記帳台の高さが手を置くと安定もするので,そういうふうにしたんだと思います」旨述べるにとどまっており,〔2〕について〔1〕の推認力を増すものと評価することを左右するものとはいえない。
(5)以上によれば,被告人が本件記帳台から立ち去る際に振り向いて,本件封筒が置かれた方向に右手を伸ばして何らかの物をつかんで持ち去り,再び本件記帳台に戻り封筒が置かれた付近に手を置いた行動は,本件封筒を持ち去ったことと再度置いたことの裏付けとなるとした原判決は合理的なものといえよう。 
4 まとめ
 事実認定の事後審査の在り方は,「第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実認定の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきもの」であり,「控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要である」とされている(最高裁平成23年(あ)第757号同24年2月13日第一小法廷判決・刑集66巻4号482頁,最高裁平成24年(あ)第797号同26年3月20日第一小法廷判決・刑集68巻3号499頁参照)。この理は,事実の取調べに制約があり,かつ,事後審で法律審である上告審には一層強く妥当するものと思われる。この観点から,多数意見をみると,第1審判決及びこれを是認した原判決の事実認定に対し,前述したとおり,それが論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示したとは到底いえないと考える。
検察官野口元郎 公判出席
(裁判長裁判官 鬼丸かおる 裁判官 小貫芳信 裁判官 山本庸幸 裁判官 菅野博之)