管轄移転の請求事件 最高裁判所第二小法廷平成28年(す)第398号 平成28年8月1日決定

       主   文

本件管轄移転の請求を棄却する。

       理   由

 本件管轄移転請求の理由は,別紙のとおりである。
 所論は,要するに,米軍属である申立人が那覇地方裁判所に起訴されている強姦致死,殺人,死体遺棄被告事件については,沖縄県内において,米軍基地やいわゆる日米地位協定の問題と絡めて,大々的に報道され,また,広範な抗議活動が行われたことから,沖縄県民にあっては,被告人の自白内容,自白を補強する物証等の存在を知り,被告人が有罪との心証を有しているだけでなく,被告人を厳罰に処すべきとの予断を持つに至っているところ,そのような県民の中から裁判員を選任しなくてはならないことなどからすると,那覇地方裁判所において公平な裁判を行うことは不可能であるなどとして,東京地方裁判所への管轄の移転を請求するというのである。
 そもそも裁判員制度は,国民の視点や感覚と法曹の専門性との交流によって,相互の理解を深めることを通じてより良い刑事裁判の実現を目指すものである。そして,裁判員裁判対象事件を取り扱う裁判体は,公平性,中立性を確保できるよう配慮された手続の下に選任された裁判員と,身分保障の下,独立して職権を行使することが保障された裁判官とによって構成され,裁判員は,法令に従い公平誠実にその職務を行う義務を負っている上,裁判長は,裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならないとされていることなども考慮すると,公平な裁判所における法と証拠に基づく適正な裁判が行われることが制度的に十分保障されているといえる(最高裁平成22年(あ)第1196号同23年11月16日大法廷判決・刑集65巻8号1285頁参照)。
 このような裁判員制度の仕組みの下においては,所論が主張する点は,那覇地方裁判所において公平な裁判が行われることを期待し難い事情とはいえないから,本件は,刑訴法17条1項2号にいう「裁判の公平を維持することができない虞があるとき」に当たらない。
 よって,本件請求は理由がないから,これを棄却することとし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。なお,裁判官千葉勝美の補足意見がある。

 裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。

 私は,法廷意見との関係で,次のとおり私見を補足しておきたい。
1 本件管轄移転請求の理由において,所論は,那覇地方裁判所管内の民心の状況等によれば,公平な裁判を行うことは不可能であると主張しているが,その内容等を斟酌すると,沖縄には米軍の基地があることにより,住民の中には,諸々の不利益を受け,基地の存在等に対する嫌悪感を抱く者も多く,また,過去の米軍の軍人,軍属による凶悪事件等を承知しており,彼らの起こす犯罪に対し,厳しい処罰感情を持っていること等から,沖縄県民の中から裁判員が選任された裁判員裁判においては,被告人に対し不利益な事実認定を行い,極端に厳しい量刑を選択する可能性があるとしており,そのことを,裁判の公正を維持することができないおそれがあることを基礎付ける理由の重要な要素としているものと解される。これらの点をどう考えるのかが問題である。
2 ところで,裁判員裁判において審理に参加する裁判員は,公判廷で,検察官,弁護人の双方から,本件公訴事実との関係で犯罪事実の認定や量刑に関する証拠,適用されるべき刑罰法規の内容とその解釈等について,被告人にとって有利,不利それぞれの観点から主張,立証が戦わされ,証拠調べや論告,最終弁論等が行われるなど,公平な審理が展開される場に臨むのである。そして,法廷意見が指摘するように,裁判員は,法令に従い公平誠実にその職務を行う義務を負っており,裁判長は,裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮すべきこととされており,実際もそのような運用がされている。そうすると,裁判員とすれば,被告人に個人的な体験等に基づく強い憎悪感や逆に揺るぎない同情ないし好感情を抱いているような例外的な場合でない限り,裁判員としての基本的な義務を放棄し,公平な審理,判断を行う努力を怠るような態度に出ることは考え難いところである。そして,公判廷で現実に提出される証拠,証人尋問等の内容を吟味し,起訴された事実が合理的な疑いを入れる余地のない程度に立証されているかどうか審理することになり,そのようにして認定された犯罪事実等に向き合うのである。その認定事実は,具体性を帯び,マスコミによる報道内容や風評等から離れ,動かし難い圧倒的な重みを有したものであり,裁判官も裁判員も,それに正面から対峙することになる。そして,仮に有罪の場合には,量刑に関し,これまでの刑事裁判において積み上げられてきた考慮すべき諸事情を確認し,善良な市民感覚を踏まえつつ,裁判官と協働しながら強い責任感の下に判断していくことになる。そこは,事件の背景等についての証拠に基づかない裁判員の個人的な感情や予断等が入り込む余地のない厳粛な「裁きの場」なのであって,そのことは,国民全体の共通の認識でもある。
3 すなわち,裁判員裁判制度は,一般の健全な市民感覚を持った人達が刑事裁判に参加し,その民主的な基盤をより強固なものにすることを企図したものであり、裁判員には,証拠に基づかない私的な感情を排した冷静な審理への参加が求められており,各人がそのような自覚の下に,裁判員裁判の制度を裁判官と共に築き上げていく責務があり,また,これまで行われてきた裁判員裁判においても,その地道な努力が全体として例外なくしっかりと積み重ねられてきている。本件においても,沖縄県の特殊事情,県民の様々な思いがあったとしても,適正な手続で選任された裁判員としては,法と証拠に基づく公正な裁判の実現を目指すべきであり,また,目指すことは十分に信頼できるところであって,これこそが裁判員裁判の制度を支える基礎となるものであろう。 
(裁判長裁判官 小貫芳信 裁判官 千葉勝美 裁判官 鬼丸かおる 裁判官 山本庸幸)